【歌詞の意味】YOASOBI「夜に駆ける」のここがすごい!大ヒット曲の魅力に迫る!

歌詞の意味

「夜に駆ける」と言えば、2019年にリリースされて以降、今もなお強い人気を誇る、令和のJPOPシーンに強い印象を与えた名曲ですよね。先日、英訳版である「Into The Night」も公開されて、再び注目されている本楽曲の魅力に、歌詞分析の観点から迫っていきたいと思います!

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歌詞の意味

沈むように溶けていくように

二人だけの空が広がる夜に

YOASOBI『夜に駆ける』

曲の出だしでは、かなり抽象的な表現が使われていますね。いったい何が沈んでいくのか、二人だけの空とは何か。この歌詞が、曲中に登場する二人の運命を暗示する、伏線のような働きをしています。二人の運命はどうなっていくのか。続きを見ていきましょう。

「さよなら」だけだった

その一言で全てが分かった

日が沈みだした空と君の姿フェンス越しに重なっていた

YOASOBI『夜に駆ける』

Aメロの出だしでは、情景的な表現が用いられています。「日が沈みだした空と君の姿フェンス越しに重なっていた」という表現から、この歌を歌う「僕」と、対人物である「君」は、夕暮れ時の屋上にいるようです。

屋上で「さよなら」・・・なんだか、不穏な空気ですね。「フェンス」という表現も相まって、悪い予想が頭をよぎります。「君」は、今まさに自○を図ろうとしている、と考えることができます。

初めて会った日から僕の心の全てを奪った

どこか儚い空気を纏う君は寂しい目をしてたんだ

YOASOBI『夜に駆ける』

この部分では、「僕」の「君」に対する印象が描かれています。どこか儚く、寂しい目で世界を見つめる「君」に、「僕」が惹かれている様子が表れています。

いつだってチックタックと鳴る世界で何度だってさ

触れる心無い言葉うるさい声に涙が零れそうでも

ありきたりな喜びきっと二人なら見つけられる

YOASOBI『夜に駆ける』

どんなにつらくても、変わりなく「チックタック」と時間が進むこの世界。時には、心無い声に涙が零れてしまいそうになります。そんな中でも、「僕」と「君」の二人なら、喜びを見つけて生きていくことができる。Bメロでは、「僕と一緒に、これから生きていこう」と説得している様子が描かれています。

騒がしい日々に笑えない君に思いつく限りまぶしい明日を

明けない夜に落ちてゆく前に僕の手を掴んでほら

忘れてしまいたくて閉じ込めた日々も抱きしめた温もりで溶かすから

怖くないよいつか日が昇るまで二人でいよう

YOASOBI『夜に駆ける』

サビでもBメロと同様、「僕」が「君」の自○を止めようと説得している様子が描かれていますね。「明けない夜に落ちてゆく前に」=死ぬ前に、僕の手を掴んで二人で生きよう。そうしたら「僕」が、「君」に「思いつく限りまぶしい明日を」見せることができる、という風に、とにかく必死で「君」を死から遠ざけようとしています。非常に健気な「僕」ですが、この思いは届くのでしょうか・・・

2番に続きます。

君にしか見えない何かを見つめる君が嫌いだ

見惚れているかのような恋するようなそんな顔が嫌いだ

YOASOBI『夜に駆ける』

1番では、「どこか儚い空気を纏う君」に惹かれる「僕」、という風に分析しましたが、2番では打って変わって「嫌いだ」という表現が使われていますね。この部分から、「僕」が「君」に惹かれている、と一口に言っても、単純な好意ではなく、複雑な感情が絡んでいることがわかりますね。この感情につきましては、考察にて詳しく述べたいと思います。

信じてたいけど信じれないことそんなのどうしたってきっと

これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの

それでもきっといつかはきっと僕らはきっと分かり合えるさ

信じてるよ

YOASOBI『夜に駆ける』

この部分から、まだ「僕」が「君」に対して説得をしていることがわかります。なかなか、「君」の決意は固いようですね。それこそ、「君」にしか見えていない世界の姿があるからこそ、この決意は揺らがないのかもしれません。あの手この手で必死に語り掛ける「僕」の姿と、そんなもの意に介さない「君」の姿が目に浮かびます。なんだか、切なさのようなものまで感じてしまいますね。

もう嫌だって疲れたんだってがむしゃらに差し伸べた僕の手を振り払う君

もう嫌だって疲れたんだって本当は僕も言いたいんだ

YOASOBI『夜に駆ける』

この部分に入るまでに、ピアノを主旋律とした間奏が入ります。かなり長い間、「僕」の説得が続いていたのでしょうか。

それでも「君」の思いは変わらず、「僕だって本当は疲れているんだ」という「僕」の本音が表れています。

ほらまたチックタックと鳴る世界で何度だってさ

君のために用意した言葉どれも届かない

終わりにしたいだなんてさ釣られて言葉にした時君は初めて笑った

YOASOBI『夜に駆ける』

ここまで何度も繰り返してきた説得ですが、「君」には少しも届かなかったようです。主人公は思わず、「終わりにしたい」と口にします。そんな時、「僕」の言葉が一つも届いていなかった「君」が、初めて笑ったのです。ずっと気持ちを分かり合えずにいた二人の感情が、初めて重なった瞬間であると言えます。そうして、二人の物語は終焉へとむかいます・・・

騒がしい日々に笑えなくなっていた僕の目に映る君は綺麗だ

明けない夜に溢れた涙も君の笑顔に溶けていく

変わらない日々に泣いていた僕を君は優しく終わりへと誘う

沈むように溶けていくように染みついた霧が晴れる

YOASOBI『夜に駆ける』

本当は「僕」だって、逃げ出したかった。終わりにしたかった。そんな「僕」の気持ちを汲み取った「君」は、「僕」を終わり=死へと誘います。「君」の姿は、とてもきれいに見えました。その瞬間、僕は心の霧が晴れていくのを感じました。ここで一緒に死ぬことこそが、二人を苦しみから解放する唯一の手段であると僕は悟ります。

忘れてしまいたくて閉じ込めた日々に差し伸べてくれた君の手を取る

涼しい風が空を泳ぐように今吹き抜けていく

繋いだ手を離さないでよ

二人今、夜に駆けだしてく

YOASOBI『夜に駆ける』

そうして「僕」は、「君」と一緒に死ぬことを選びます。時間ももう、夜になりました。

そうして二人は、「夜に駆けだして」いったのでした・・・

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考察

本楽曲の構成と聞き手に与える効果

本楽曲は、自○を考えていた「君」を説得しに行った「僕」が、逆に説得され、二人で一緒に死を選ぶ、といったストーリーになっていました。

必死に生きることを訴えていた「僕」でしたが、その過程には様々な辛さがありました。どんなに必死に叫んでも、「僕」の声は「君」に届かない・・・

そんな中「僕」は、思わず「僕だって本当は・・・」と口にします。そんな時、それまでどんな言葉も届かなかった「君」が、初めて笑ったのです。

そんな「君」を見て、「僕」は自分の本当の気持ちに気が付きます。

そうして二人は、ともに死ぬ道を選んだのです。

本楽曲は構成上、「僕」の説得の様子がかなり多くなっています。しかし、どんな言葉も「君」には届きません。聞き手である我々も、これには「僕」に強い切なさを感じずにはいられません。

そんな中僕が思わず口にした「終わりにしたい」という言葉。これ自体は、説得をもうやめたい、という単純なものであると考えられます。しかしこの言葉は、「僕」の本音を暗に表した言葉でもあると考えられます。

「僕」はこれまで、「頑張って生きていけば、二人一緒なら、楽しく過ごすことができる」といった、半ば理想論のようなものを「君」に語り掛けてきました。しかし、どんなに頑張っても、語り掛けても決意の揺るがない「君」の姿を見るうちに、僕はだんだんとそれが理想論であることに気が付きます。

自分の理想論を掲げるほど、「結局『君』のことを救えない自分」が明らかになるという、一種の逆説的な事象が起こっていったのですね。そうして出た「終わりにしたい」という言葉は、「頑張っていればいいことあるよ」のように語っていた自分自身を否定するような結果になりました。このような理由から、「僕」は「君」とともに自○するという道を選んだのではないでしょうか。

本楽曲のストーリーは、事実だけを掻い摘んでいえば「自○を止めに行った人が逆に説得されて、結局一緒に自殺した話」ということになります。ともすれば、「え、なんでそうなったし。」という印象を聞き手に与えてしまう場合もあったかもしれません。しかしながら、我々聞き手がこの曲を聞いて、ある程度ストーリーの整合性を感じつつ、切ない感情が描かれた楽曲として聞くことができるのは、上記のような構成、また作詞者による巧みな心情表現によるものと言えるのではないでしょうか。

「僕」が「君」に抱いた感情

1番のAメロでは「僕の心の全てを奪った」、2番では「嫌いだ」と対照的に表現されている「僕」が「君」に抱く感情ですが、実際のところ「僕」はどのように思っていたのでしょうか。

1番の歌詞からは、「僕」が君に惹かれている様子がわかります。なぜ惹かれていたのかは、前述の考察を読んでいただけたら明らかだと思います。僕にはない価値観から世界を見つめていた「君」は、「僕」にとって不思議で、高貴な存在に見えたのでしょう。

ではなぜ2番では「嫌いだ」と表現したのでしょうか。そこには、上記の考察から見えてくる、「僕」の複雑な感情が関わってきます。

先にも言ったとおり、「僕」は最終的には死を選び、「君」にだけ見えていた世界観を共有します。しかし、生きていることに対しての理想論を持っていた「僕」にとって、その世界観は真っ向から自分を否定するものでもあります。ともすると彼は、半分真実に気が付いていたのかもしれません。しかし、自分を否定することができず、出た言葉こそが「嫌いだ」だったのではないでしょうか。こうやってみると、「僕」の中にも、ある種の葛藤のようなものがあったのかもしれません。

タイトルに込められた意味

「駆ける」という言葉を聞いて、みなさんどのようなイメージを持つでしょうか。多くの人が、「走り出しそう、さわやかな雰囲気」を感じることと思います。自○をテーマとする本楽曲には、一見似つかわしくないようにも思えます。

しかしそれは、これまでの「僕」と同じように、我々の中にある理想論がそう考えさせているのではないでしょうか。「僕」も初めは、生きることこそ大切だという至上主義を掲げていましたが、本当はそうではありませんでした。

二人にとっての開放とは死ぬことそのものであり、そんな二人にとって自○とは「駆けていく」と表現することになんの不合理もなかったのです。

この一般論とのミスマッチも相まって、この曲のタイトルが非常に魅力的に感じられるのではないでしょうか。

感想

いやー、改めて文字に起こしてみると、本当に素晴らしい楽曲ですね。テーマやストーリー自体は重い物なのですが、それを感じさせないような疾走感がこの曲にはあります。今回分析をしてみて、それは巧みなストーリー構成と、表現のたまものであることがわかりました。YOASOBI、これからもますます注目していきたいアーティストですね!

最後までご覧いただき、ありがとうございました!!

ご感想や、「こんな曲の考察も見たい!」というご意見ありましたら、コメント欄までお願いします!

それでは( ^^) _U~~

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