こんにちは!
今日は、back numberの「ベルベットの詩」を徹底的に考察し、歌詞の意味を解説します!
元気や勇気をもらえる、メッセージ性の強い歌詞。
そこに隠された、深い意図と言葉選びに、思わずうなってしまう。
そんな本楽曲の魅力に、歌詞分析の観点から迫っていきます!
✔まっすぐで、勇気をもらえるメッセージ
✔サビに隠された、意味の深い言葉遊び
映画『アキラとあきら』の主題歌
本楽曲は、映画『アキラとあきら』の主題歌として書き下ろされました。
本楽曲をより深く理解するために、まずは『アキラとあきら』のあらすじを見てみましょう。

©2022「アキラとあきら」製作委員
(公式ホームページより)
父親の経営する町工場が倒産し、幼くして過酷な運命に翻弄されてきた山崎瑛〈アキラ〉。大企業の御曹司ながら次期社長の椅子を拒絶し、血縁のしがらみに抗い続ける階堂彬〈あきら〉。運命に導かれるかのごとく、日本有数のメガバンクに同期入社した二人は、お互いの信念の違いから反目し合いながらも、ライバルとしてしのぎを削っていたが、それぞれの前に〈現実〉という壁が立ちはだかる。〈アキラ〉は自分の信念を貫いた結果、左遷され、〈あきら〉も目を背け続けていた階堂家の親族同士の骨肉の争いに巻き込まれていく。
そして持ち上がった階堂グループの倒産の危機を前に、〈アキラ〉と〈あきら〉の運命は再び交差する ー
立ちはだかる苦悩、交差する運命が描かれた本作品。
人生の苦悩に立ち向かっていく様子が描かれた本楽曲は、この映画の主題歌としてぴったりです。
映画と共に本楽曲を楽しむことで、また新たな発見ができるかもしれませんね!
「ベルベット」とは?

タイトルにもある「ベルベット」とは、タテ糸パイルの毛足の長いパイル織物の一種のことです。
専門用語が多いですが、要するに布を織る際の技法の一つです。
美しい光沢と表面に細かい毛羽が生えていることが特徴で、高級感のある見た目から、家具などに使用されるそうです。
また、優しい肌触りから、パジャマなどに使用されることもあるそう。
このような特徴がある「ベルベット」ですが、本楽曲内ではどのように歌詞と関連付けられているのでしょうか。
それでは、前置きが長くなりましたが、次からは実際に歌詞を見ていきましょう!
歌詞の意味
1番
心が擦り切れて
back number「ベルベットの詩」ー作成:清水依与吏
ギシギシと軋む音が
聞こえないように
大きな声で歌おう
理不尽が多すぎて
いつの間にかそれに慣れて
僕は自由だと
もう忘れてしまいそう

ここでは、人生における苦悩に立ち向かう「僕」の様子が描かれています。
“心が擦り切れて
ギシギシと軋む音が“
辛いことの繰り返しで、心の糸が切れてしまいそうになる。
人生は、こんな瞬間の繰り返しです。
「擦り切れる」という表現は、布や糸によく使われる表現ですね。
さりげないですが、「ベルベット」=布にちなんだ表現になっています。
そして、そんな辛いことがある人生でも、それをかき消すように「僕」は歌います。
“理不尽が多すぎて
いつの間にかそれに慣れて”
この歌詞は、上記にあった「心が擦り切れそうになる」理由になっています。
現代人の課題ともいえるこの現象。
親からの命令、先生からの指導、社会に強制される「当たり前」…
我々は常に、様々な理不尽に直面しています。
そして、そんな中では、「人はそもそも自由である」という前提すらも忘れてしまいそうになります。
ああうるさくつたなく
back number「ベルベットの詩」ー作成:清水依与吏
産声のように遠く響け
あるがままの姿で
自分のままで生きさせて
決して楽ではないが
きっと人生は素晴らしい
ここでは、自分らしく生きようとする「僕」の様子が描かれています。
“ああうるさくつたなく
産声のように遠く響け“
綺麗な形でなくてもいい。
不格好でも、それこそが人が生まれ持った「自由」であると「僕」は考えます。
生まれた時に与えられた「自由」を叫ぶように、「僕」は産声をあげます。
“あるがままの姿で
自分のままで生きさせて“
生まれた時の姿。
それは、何物にも飾られない「ありのままの自分」です。
誰にも、何にも制限されない、あるがままの姿。
それを保つことは、決して楽な道とは言えません。
しかし、「僕」はそんな人生を強く望むのです。
青くさい
back number「ベルベットの詩」ー作成:清水依与吏
なんて青くさい
綺麗事だって言われても
いいんだ 夢見る空は
いつだって青一色でいい

ここでは、他人の批判を押しのけようとする「僕」の姿が描かれています。
「自由に生きる」、あまりにも純粋であるがゆえに、幼くも見えるこの感情。
多くの人は、「僕」のことを”青くさい”と批判することでしょう。
“夢見る空は
いつだって青一色でいい“
それでも「僕」は、自分の道を突き進みます。
自分自身で見る夢の先は、曇りの一点もない青空であるべきなのです。
ここで見られる、「青くさい」と「青一色」のような、一種の言葉遊び表現がとても美しいと筆者は感じました。
実は、他2つのサビにおいても、このような工夫が見られます。
ここでは長くなるので、詳しくは記事下にある【考察:サビにある美しい対比表現】にて解説したいと思います。
2番
恐れない人はいない
back number「ベルベットの詩」ー作成:清水依与吏
追いかけて来る震えを
振り解くように
誰もが走っている
人がさ 繊細で
でもとても残酷だって事
僕もそうだと
実はもう知っている

ここでは、自分と同じような恐怖をすべての人が持っているであろうことが描かれています。
1番で歌われたような気持は、決して「僕」だけが持つものではありません。
私達はみな、同じような恐怖や不安の中で生きているのです。
“人がさ 繊細で
でもとても残酷だって事“
この歌詞で描かれる、人の本性。
とても弱い存在である一方で、他人に対してどこまでも残虐になれます。
そして、もれなく「僕」自身もそうであると語られています。
ああ嫌だ 悲しいね
back number「ベルベットの詩」ー作成:清水依与吏
痛みを抱き締めて進め
あるがままの姿で
自分のままで生きさせて
正直者は馬鹿をみるが
きっと人生は素晴らしい
ここでは、そんな悲しみを持ちながら人は生きていかなければならないんだ、という意思が描かれています。
先の歌詞にあったような事実は、嫌だし、悲しい。
それでも、その痛みを抱えたままに人は生きていかなくてはならないのです。
“正直者は馬鹿をみるが
きっと人生は素晴らしい“
素直に生きることは、確かに難しい。
この考え自体を、「僕」は否定していません。
それでも、自分に正直に生きる人生は、きっと素晴らしいものなのです。
下らない
back number「ベルベットの詩」ー作成:清水依与吏
なんて下らない
無駄な事だって言われても
いいんだ 下を見ないで
ひたすら登って行けたらいい
ここでも、1番と同じように、「僕」に対する人々の批判が描かれています。
「僕」のように自由を求める思考は、大人たちから見ればあまりにも幼く、下らない。
無駄なことにすら思えます。
“下を見ないで
ひたすら登って行けたらいい“
それでも、「僕」は前に進み続けます。
下を見ることなく、ひたすら高みを目指していくのです。
ここでの言葉遊びも、記事下にて詳しく解説します。
2番以降
心が擦り切れて
back number「ベルベットの詩」ー作成:清水依与吏
ギシギシと軋む音が
聞こえないように
大きな声で歌おう
1番と同じ歌詞のため、省略します!
あるがままの姿で
back number「ベルベットの詩」ー作成:清水依与吏
自分のままで生きさせて
努力は実りづらいが
きっと人生は素晴らしい
泥くさい
なんて泥くさい
だからこそ綺麗な綺麗な虹を
見つける権利がある

ここでは、苦悩の中で自由を求めるからこそ、輝きを見付けられるという、「僕」の気持ちが描かれて
います。
ここまでの歌詞にもあったように、人生は楽ではないし、正直者は馬鹿を見るし、努力はなかなか実りません。
それでも、「僕」の考えは一貫しています。
“きっと人生はすばらしい”
「僕」は、これからも信じて歩み続けます。
“だからこそ綺麗な綺麗な虹を
見つける権利がある“
あがいてもがいて、何とも不格好に生きる「僕」。
それでも、どんなに泥臭くてもいいのです。
こうやって生きたからこそ、遠くに希望=虹を見付けることができるのです。
音がさ外れても
back number「ベルベットの詩」ー作成:清水依与吏
たとえ口塞がれても
僕は僕だと
自分の声で歌おう
代わりはいないと
自分の声で歌おう
ここでは、これからどんな苦悩があろうとも、自由を求め続ける僕の姿が描かれています。
“音がさ外れても
たとえ口塞がれても“
これから訪れるであろう苦悩が比喩された表現です。
どんなに失敗しても、誰に止められたり制限されようとも、「僕」は自分自身の声で歌い続けます。
自分自身の代わりなどいない、自分はオンリーワンであることを噛み締めながら、本楽曲は終了です。
考察
サビにある美しい対比表現
サビ後半の歌詞は、1番、2番、ラストすべてに、美しい対比表現が使われています。
ここでは、順番にそれぞれ詳しく解説していきます。
1番の対比表現
1番では、「青くさい」と「青一色」が対比表現になっています。
多くの人が僕に向けるであろう、「青くさい」=幼いという感想。
しかし「僕」は、夢の先には雲なんていらない、一面の青空が良いと、批判を一蹴します。
ここでは、共通する「青」という文字がどちらの表現にも使われています。
同じ文字を使うことで、「貴方たちにはこう映るかもしれない。しかし、僕にはこう見えている。」という、「僕」の気持ちが表現されています。
2番の対比表現
2番では、「下らない」と「登っていけたらいい」が対比表現になっています。
直前には、”下を見ないで”という歌詞もあり、1番と同じような、同じ文字を使った対比も見られます。
こちらも美しいのですが、筆者が注目したのは意味の部分。
「下らない」という言葉は、見方を変えると「下る」を「しない」、つまり「下にはいかない」という意味にも取れます。
すなわち、上に行く=登るということ。
「下らない、それでもいいよ。だって僕は、上に行くから。」という、1番にもみられた「僕」ならではの捉え方が描かれています。
ラストサビの対比表現
最後のサビでは、「泥」と「虹」が対比表現になっています。
1番や2番のような言葉遊びは見られませんが、両者の性質を考えると、ここの対比の美しさが見えてきます。
まず、泥という物質について考えます。
泥とはすなわち、「水の中に砂などの有形物が混じってできた物」と考えられます。
次に、虹についてです。
虹は、「空気中に雨などの水滴が分散し、光の反射によって生まれるもの」と考えられます。
簡単に表すと、
泥=水に砂が混じったもの
虹=空気中に水が混じったもの
と捉えられます。
このようにみると、見た目が全然違うものでも、非常に似ている存在に感じられないでしょうか。
1番と2番では、一般的な見方化とは違う視点で物事を捉えた「僕」。
ラストサビでも、このような「違う見方」によって、「僕」は暗闇の中に希望を見つけ出しています。
このような、
世間の見方⇔「僕」の見方
両者の違いが、対比表現によって表現されている、と考えられます。
「ベルベット」に込められた意味

本楽曲で語られたように、人生は苦悩や恐怖の連続です。
しかし、それでも“きっと人生は素晴らしい”。
ひとつひとつを見れば苦悩の連続でも、全体を見れば、それは光り輝くのです。
「ベルベット」にしたって同じです。
拡大してみれば、それは1本1本弱い糸の集まり。
しかし、遠くから見れば美しく輝く、1枚の織物になります。
「苦悩」という糸が複雑に絡み合うことで生まれる輝きこそ、「素晴らしい人生」なのです。
作詞者は、「糸と織物」、「苦悩と人生」の関係性に着目し、本楽曲のタイトルを「ベルベットの詩」としたのではないでしょうか。
「ベルベット」とはすなわち「僕」のことであり、この楽曲を聴く我々自身でもあったのです。
筆者の感想
元気をもらえる歌詞の中に、濃密な仕掛け。
作成者である清水氏自身も、「本楽曲は作曲よりも作詞に苦労した」とインタビューにて語っていました。
映画における、「困難を乗り越えていく主人王たちの姿」にも重なる本楽曲は、日々を苦悩の中で生きる我々自身にも強く関連していると感じました。
明快なメッセージながら、紐解いていくと深い意味がそこにはある。
「水平線」などにもみられた、back numberならではの魅力を、本楽曲から感じることができました。
この記事の感想やご意見など、是非コメント欄までお待ちしております!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは(@^^)/~~~
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