【歌詞の意味】幾田りら「スパークル」のここがすごい!YOASOBIボーカルが魅せる、恋の煌めき

【歌詞の意味】幾田りら「スパークル」のここがすごい!歌詞の意味

こんにちは!

今日は、幾田りらの「スパークル」を徹底的に考察し、歌詞の意味を解説します!

YOASOBIのボーカルである幾田りらによる本楽曲は、『今日、好きになりました。蜜柑編』の主題歌として起用されています。

恋に一瞬で落ちていく様子を、夜空にきらめく流れ星に例えて表現した、真っすぐなラブソング。

片思いのときめき、切なさを描く甘酸っぱい恋心の初々しさに、思わず胸がきゅんとしてしまいます。

そんな本楽曲の魅力に、歌詞分析の観点から迫っていきます!

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『今日、好きになりました。蜜柑編』の主題歌

本楽曲は、ABEMAオリジナル恋愛番組『今日、好きになりました。蜜柑編』として書き下ろされました。

同シリーズの『向日葵編』『朝顔編』には幾田りらの「ロマンスの約束」が主題歌として起用されており、最新シリーズの主題歌を継続して担当した形になります。

『今日、好きになりました。』は、「運命の恋を見つける、恋の修学旅行」をテーマに現役高校生たちの恋模様を描く、恋愛リアリティーショーです。

恋に落ちるのに、期間は関係ない。高校生たちの初々しい恋愛模様を描く同番組に、本楽曲はぴったりです。

また、同番組内でも、もちろん叶う恋もあれば、叶わない恋もあります。

歌詞分析では、楽曲中にも表現されている片思いのときめきと切なさに注目しながら解説を進めていきたいと思います!

歌詞の意味

1番

煌めいて消えてった
ひとひらの恋の結末は
落っこちてくような
心地がしたのは
目と目が合った時でした
ほんの一瞬のこと
きっと困らせちゃうでしょ?
全部伝えてしまえば
崩れていくものばかりが
頭をめぐるめぐる

幾田りら「スパークル」-作成:幾田りら
寂しげな様子の女性

ここでは、一瞬で恋に落ちていく「私」の様子が表現されています。

“煌めいて消えてった ひとひらの恋の結末は”という歌詞の意味はのちにわかるようになっています。

が、先に答えを言ってしまうと、「一瞬で恋に落ちる様子を、流れ星に例えた表現」になっています。
この恋の結末は、どうなってしまうのでしょうか。歌詞を読み解いていきましょう。

“落っこちてくような
心地がしたのは
目と目が合った時でした”

この歌詞から、恋の始まりは一瞬だったことがわかります。

「落ちる」という表現は、恋に落ちる様子を表すとともに、楽曲で描かれる流れ星にちなんだ表現にもなっています。

この歌詞から、まるで流れ星が流れるように、目が合った一瞬が恋の始まりであったことがわかります。

“全部伝えてしまえば
崩れていくものばかりが”

この歌詞からは、「私」の想いが片思いであることがわかります。

もし「好き」と伝えてしまえば、「君」を困らせてしまう。そんな切ない葛藤が描かれています。

君が愛おしく思うのは
私じゃないかもと
どこかでずっと感じているのに
のぼせた頬を夜風に任せて冷やして

幾田りら「スパークル」-作成:幾田りら

ここでは、自分自身の片思いに気が付いて悩む「私」の様子が表現されています。

“どこかでずっと感じているのに”という歌詞に現れるように、「私」は叶うはずのない恋に思い悩んでいます。

“のぼせた頬を夜風に任せて冷やして”

この歌詞は、夜空の下で思いを巡らせている様子を表しています。「君」を見たり、一緒に話したりすると、思わず頬が赤くなります。

しかし、そんな想いは叶いそうにもありません。「君」への想いの強さと、「それは叶わない」と冷静になろうとする様子が表現された歌詞になっています。

煌めいて消えてった
ひとひらの恋の結末は
痛いほど始めから決まっていたんだ
それでも君の横顔愛おしくなって
浮かんだ二文字が駆けめぐる
声に出来ず

幾田りら「スパークル」-作成:幾田りら

ここでは、「君」への想いを伝えられない「私」の苦しみが表現されています。

“ひとひらの恋の結末は
痛いほど始めから決まっていたんだ”

“恋の結末”=「君」とは結ばれないことは、初めからわかりきっていたことでした。

それでも、「好き」という気持ちに嘘が付けない「私」は、思い悩むことになります。

諦めようとするたびに“君の横顔”を思い出してしまい、なかなか決断することができません。

“浮かんだ二文字”=「好き」という言葉が頭を駆け巡りますが、声にできません。

これらの歌詞には、片思いの葛藤と切なさが表現されえちます。

2番

こんな近くにいるのに
いつも遠くを見ているね
本当の君が知りたいの
なんて言えるわけないけど

幾田りら「スパークル」-作成:幾田りら
さみしげに遠くを見つめる女性

ここでは、本音を言えない「私」の苦しみが表現されています。

“いつも遠くを見ているね”

「私」のことを見ていない「君」の様子を表した歌詞です。

こういった「君」の様子から、「私」はこの恋の結末を悟ってしまうのです。

“本当の君が知りたいの”という歌詞からも、近くにいるのに「君」のことがわからないという、2人の心の距離が現れています。

柔らかい声 あどけない仕草
君に夢中になって
周りがもっと見えなくなっていく
まだ側にいたいって
言えるような距離になれたら

幾田りら「スパークル」-作成:幾田りら

ここでは、「君」に夢中になっていく「私」の様子が現れています。

“周りがもっと見えなくなっていく”ほどに、「私」は恋心を募らせています。

“まだ側にいたいって
言えるような距離になれたら”

ここで言われる距離とは、心の距離であると考えられます。

先ほどの歌詞にあったように、どんなに近くに居ても=身体の距離が近くても、心の距離は縮まることがありません。

これらの歌詞から、「私」の想いの強さが伝わってきます。

煌めいて消えてった
夜空を走り去る星のように
ひとときの幸せ逃さないように
瞬きも惜しいほど君をみていた
きっといつかどこかへ
行くのでしょう?

幾田りら「スパークル」-作成:幾田りら

ここでは、「私」の恋模様を夜空の流れ星に例えた表現が用いられています。

“ひとときの幸せ逃さないように
瞬きも惜しいほど君をみていた”

という歌詞は、流れ星に自らの恋を重ねた表現です。

「君」との恋は夜空に残り続ける星たちとは違い、一瞬の煌めきである流れ星のような切なさがあります。

「君」を好きでいられる時間は、近い将来必ず終わりが来るのです。

だからこそ、この一瞬一瞬を目に焼き付けようと「私」は思います。

2番以降

いつだって止められるはずの恋に
夢を見続けては
覚めないでと願ってしまう
曖昧も怖いも握り締めて

幾田りら「スパークル」-作成:幾田りら

ここでは、恋を諦めることができないでいた「私」の様子が表現されています。

“いつだって止められるはずの恋に
夢を見続けては”

叶うはずのない恋に執着することは、無駄なことだと「私」はわかっています。

想いを伝えてない今なら、何事もなかったように終わらせることができます。しかし、「君」といる時間は、まるで夢でも見ているように心地がいいのです。

“曖昧も怖いも握り締めて”という歌詞からもわかるように、これまでの「私」はどんなに苦しくても、「君」への想いを捨て去ることができなかったのです。

君が好き それだけが
嘘のない私の気持ちで
痛くても分かっていても
変わりはしないんだ
苦しさも愛しさも
全部君から貰えて良かった
忘れないよ日々を
恋をした意味を

幾田りら「スパークル」-作成:幾田りら

ここでは、「君」への想いを昇華させようとする私の気持ちが描かれています。

“痛くても分かっていても
変わりはしないんだ”

叶わない恋に向かい続けることは、苦しいものです。それでも、「君」への想いを変えることはできません。

「私」の想いの強さが伝わってくる歌詞です。

“苦しさも愛しさも
全部君から貰えて良かった”

そして、そんな苦しさも、なにより「君が好き」という時間も大切な日々だったと「私」は感じます。

相手が「君」でよかったと思う「私」の様子から、この恋に終わりを告げようと決心したことがわかります。めちゃくちゃ切ないです…

そして「私」は、「君」との日々を“恋をした意味”と表現し、大切な思い出として心のうちにしまいます。

落っこちていくような
心地がしたのは
目と目が合った時でした
ほんの一瞬のこと

幾田りら「スパークル」-作成:幾田りら

前の歌詞と同じ内容のため、省略します!

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考察

タイトルと「流れ星」に込められた意味

夜空にきらめく流れ星

「スパークル」は英語で「きらめき、閃光、光彩」などの意味を表します。このことからタイトルは、恋や流れ星の煌めきを表現するために「スパークル」とつけられたと予測できます。

本楽曲では、恋の一瞬の煌めきが、流れ星に例えられて表現されていました。

流れ星は一瞬光り、消えていくはかない存在です。ある人は流れ星のことを、「死んでいく星」と表現しました。

楽曲に描かれた「私」の恋に関しても、すぐそこに終わりが見える、はかないものとして表現されていました。

この切なさのようなものが、片思いと流れ星に共通しています。

また、流れ星は願いをかなえる存在としても知られています。

楽曲中に描かれていた「私」の片思いは、叶うことがありませんでした。しかし、そこには強い思いがあります。

叶わない「私」の恋と流れ星は、ある意味で対照的で、聴き手をより切ない気持ちにさせます。

こういった理由から、本楽曲では流れ星を比喩表現として用いたのではないでしょうか。

片思いを乗り越えた「私」

この楽曲で印象的だったのは、楽曲が暗いイメージで終わらなかったところです。

片思いの曲や失恋の曲は切なさが表現されるため、悲しい空気のまま終わることも多いです。

しかし本楽曲では、悲しいながらもこの経験を前向きにとらえようとする「私」の姿が描かれていました。

これまでたくさん悩み、苦しんできた「私」が次への一歩を踏み出そうとする過程。そういったものが、本楽曲には表現されていたのではないでしょうか。

だからこそ、片思いは「煌めき」という明るい言葉で表現されていました。

このような視点で考えると、流れ星は「一瞬で消えていく切なさ」「一瞬の煌めき」両方を表現する象徴として用いられていたと想像できます。

ここに、作詞者が流れ星に込めた意図を読み取ることができます。

筆者の感想

切ない楽曲です…
片思いって、誰もが苦しいですよね。

本楽曲は、そんな気持ちに寄り添ってくれました。

そして、つらい思い出を昇華して生きようとする前向きな思いに、より一層切なさ、そして青春の甘酸っぱさを感じます。

歌詞も素直な気持ちが真っすぐに歌われていて、思わず胸がきゅんとしてしまいました。 幾田りらという個人活動についても、今後注目していきたいと思いました。

この記事の感想やご意見など、是非コメント欄までお待ちしております!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

それでは(@^^)/~~~

 

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