【歌詞の意味】NOMELON NOLEMON「INAZMA」のここがすごい!ロックの反骨精神「ありのままの自分」を描く!

稲妻とタイトル歌詞の意味

こんにちは!

今日は、NOMELON NOLEMONの「INAZMA」を徹底考察し、歌詞の意味を解説していきます!

これから大注目のアーティスト「NOMELON NOLEMON」のデビュー作となる本楽曲歌詞の魅力を、歌詞分析の観点から深堀していきます!

※この記事は、当該アーティストに関するインタビュー記事などがまだ少ない状態で行っています。そのため、楽曲に関する情報も少なく、分析や考察に関しては筆者の解釈がかなり多くなっています。このことをご理解の上、本記事をお読みいただけると幸いです。

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ボカロP×シンガーソングライター

「NOMELON NOLEMON」は、「フォニイ」などの楽曲で知られるボカロPの「ツミキ」氏と、「YOASOBI」の幾田りら氏を輩出した「ぷらそにか」に所属するシンガーソングライターの「みきまりあ」氏によって構成される音楽ユニットです。

ツミキ氏Twitterアカウント→https://twitter.com/_23ki_

みきまりあ氏Twitterアカウント→https://twitter.com/_m_panda

昨今の音楽シーンによくみられる、インターネットを中心として立ち上がった、新星の音楽ユニットです。楽曲を手掛けるツミキ氏のサウンドはとにかく情報量が多く、複雑で作りこまれていることが特徴です。本楽曲も、聴いている人を痺れさせるような展開構成が魅力です。

そんな注目の新星ユニットのデビュー作となるのが、本楽曲です。

ロック好きな「弾いてみた」配信者の歌?

本楽曲のPVに登場する少女はロックンロール好きを思わせるギターを所持しており、楽曲の歌詞からも、彼女が好む音楽がロックンロールであることがわかります。

この少女は単にロックンロールが好きな人物というよりは、楽曲中の表現と、PVでギターを持ち歩いている描写があることなどからも、どちらかというと自ら音楽を発信していくような演奏者側であることがわかります。

今の時代でいうと、いわゆる「弾いてみた」や自身の演奏をインターネットに配信している人物であるかもしれません。楽曲中にも、不特定の他人の目を気にする少女の気持ちが歌われています。

この記事では、「ロックンロールを愛する一人の少女」が視点人物であるという前提の下、考察を進めていきたいと思います!

歌詞の意味

だってほらそうやって

あたしを睨みつける様に

穿(うが)った眼で凝視して

忘れたいことも忘れられないわ

NOMELON NOLEMON「INAZMA」-作成:Tsumiki

ここでは、「あたし」を見る他人の視線にうんざりする様子が描かれています。「穿つ」という表現は、本来は「穴を掘る」という意味で用いられる言葉です。そこから転じて、「穿った見方」とは、「物事の本質を捉えた見方」という意味になります。「睨みつける」と合わせて、じろじろと見てくるような他人の目を表しています。

これらの歌詞が歌われている場面でのPVの映像は、一人の少女がスマホと向き合っている場面になっています。そこから、睨みつける様に、穿った眼で「あたし」を見てくるのは、ネットやSNSなどによる不特定の人々を指していると考えられます。

そして、そんな他人の目があることで、「あたし」は「忘れたいことも忘れられない」と感じます。ここから、こんな状況にうんざりしている「あたし」の様子がうかがえます。

さっきからそうやって

まるで映画における犯人扱い

今日もプラスティックで

鼓膜を塞ぎあたしに問う

NOMELON NOLEMON「INAZMA」-作成:Tsumiki

ここでは、そんな他人の目から逃れようと音楽を聴く「あたし」の様子が描かれています。「映画における犯人」とは、観客全員から血眼になって探され、貶められる存在です。ネット社会においては、いわゆる「アンチ」のような人が、よく似た存在として挙げられます。つまりここでは、「あたし」を否定しようと必死にあら捜しをする人達のことが歌われていると考えられます。

そして、そんな状況にうんざりした「あたし」はプラスティック=ヘッドホンで耳を塞ぎ、音楽の世界に飛び込んでいきます。

差詰(さしず)め何の為の唄

金時間苦悩あみだくじ?

教えてくれ応えてくれ

NOMELON NOLEMON「INAZMA」-作成:Tsumiki

ここでは、なぜそんな中音楽を続けるのか、音楽を聴きながら自問自答する「あたし」の様子が描かれています。音楽を続けていくうえで、お金も時間もある程度かかってきます。先の歌詞に歌われたような苦悩も多くあります。

「あみだくじ」という表現については、PVでは複雑な道路標識と共に描かれていました。そのため、上記のように複雑な辛さを「あみだくじ」という言葉で表現していると考えられます。

そして、その答えを音楽に求めている様子が表現されたのが、「教えてくれ応えてくれ」という歌詞です。

“稲妻は哀しい雨の日

静寂を照らす為に有るのさ“

それならば頬を濡らす

あたしを照らすのは

こんな期待はずれの音楽だった

NOMELON NOLEMON「INAZMA」-作成:Tsumiki

ここでは、そんな自問自答をする「あたし」を支える音楽のことが表現されています。「“稲妻は哀しい雨の日 静寂を照らす為に有るのさ“」という歌詞は他の箇所と区切られており、これは「あたし」の言葉ではないことがわかります。おそらく、今聴いている音楽の一節を表現していると考えられます。「稲妻」というものは、雨という哀しいものを照らす為に有る、という稲妻を肯定的にとらえた表現です。

そして、先の歌詞にあったような哀しみから「あたし」を照らすのは、「期待はずれの音楽」であると表現されています。後の歌詞からもわかりますが、「あたし」が愛する音楽は「ロックンロール」です。

多くの人はこんな哀しい気持ちの時には、しっとりしたバラードを聴きたくなるのかもしれません。しかし、「あたし」が求めるのは複雑でうるさい「ロックンロール」なのです。そんな、世間一般との乖離を皮肉って、「期待はずれの音楽」と表現しています。

びかびかどくどくちくたくしくしく

めらめらぐしゃぐしゃ胸の奥が騒ぐ

それを掻鳴らすこと

歪(いびつ)さを叫ぶことこそが

ロックンロールの正体

あたしに鳴れ INAZMAよ

NOMELON NOLEMON「INAZMA」-作成:Tsumiki
ロックンロールのコンサート

ここでは、「あたし」を支えるロックンロールがどういったものなのか表現されています。怒涛の擬態語表現から始まる歌詞ですが、これこそがロックンロールであると「あたし」は語ります。さまざまな楽器の音が複雑に入り乱れるロックンロールのことが表現されています。

そして、そういった音がロックンロール特有の「歪」な音を作り出します。「あたし」が求めるものは、「INAZMA」に象徴される、雨が降る心に強く光り鳴り響くロックンロールなのです。

何時からかこうやって

まるで悲劇におけるヒロインぶって

今日もランキングで

あたしをまた品定め

これじゃあもう何をやれど無駄

無茶無謀無理いきしてる?

救ってくれひとひらの電撃で

NOMELON NOLEMON「INAZMA」-作成:Tsumiki

ここでは、先の歌詞にあったような苦悩について想う「あたし」の姿が表現されています。「何時からかこうやって まるで悲劇におけるヒロインぶって」という歌詞は、1番にあった「まるで映画における犯人扱い」と対応して映画に関連する表現が用いられています。苦悩を感じる自分自身のことを、悲劇のヒロインぶっていると揶揄しています。

「ランキング」という表現は、文字通り周りの評判のことを指すと考えられます。これは、主にSNSやインターネット上の評判の事でしょうか。やはり、1番に歌われた「他人の目」は、インターネットのように不特定の人からのものと捉えることが妥当であるように思います。

そして「ランキング」を見て、「あたし」は「無駄無茶無謀無理いきしてる?」と感じます。「ランキング」の順位が振るわないのでしょう。この表現からも、「あたし」の苦悩が感じ取れます。

そしてまた「あたし」は、ロックンロールに救いを求めます。

びかびかどくどくちくたくしくしく

めらめらぐしゃぐしゃ胸の奥が騒ぐ

それを掻鳴らすこと

歪(いびつ)さを叫ぶことこそが

ロックンロールの正体

あたしに鳴れ INAZMAよ

NOMELON NOLEMON「INAZMA」-作成:Tsumiki

前述しているので省略します!

“稲妻は降る名残雨の日

悔い闇を晴らす為にあるのさ“

この音(ね)が鳴り止む頃には

陽(ひ)が射(さ)している

こんな期待はずれの音楽だって

びかびかどくどくちくたく

NOMELON NOLEMON「INAZMA」-作成:Tsumiki

ここでは、ロックンロールを稲妻に例え、「あたし」の心に響いてくる様子が表現されています。「“稲妻は降る名残雨の日 悔い闇を晴らす為にあるのさ“」という歌詞は、1番と同じく聴いている音楽の一節であると考えられます。ここでは稲妻を、闇を照らす光としてとらえています。

そして、そんな稲妻が鳴り止む頃には、雨はやみ太陽の光が射します。雨を「あたし」の哀しみに例え、ロックンロールを聴くことで、哀しみを乗り越えていき、いつか「あたし」の心にも光が射すことが表現されています。

ロックンロールは「期待はずれの音楽」ですが、それでも「あたし」の心を晴らすことができる唯一の存在なのです。

ぴかぴかどんどんちぐはぐずきずき

めらめらぐしゃぐしゃ胸の奥が騒ぐ

それを掻鳴らすこと

歪(いびつ)さを叫ぶことこそが

ロックンロールの正体

誰にも鳴れない凡(およ)そ

三十六度と少しの

あたし鳴らせ INAZMAを

そうしてほらこうやって

鼓膜を撃てよあたしのじんせい

NOMELON NOLEMON「INAZMA」-作成:Tsumiki

前述と被る内容は省略していきます!

ここでは、これまでのサビと使われる擬態語が少し異なります。特に、「しくしく」→「ずきずき」となっていることに注目すると、「あたし」の気持ちがロックンロールを聴くことによって変わっていったことがわかります。これらの擬態語表現を変えることによって、「あたし」の心情変化を描いているのではないでしょうか。

そして「あたし」は、他の誰でもない「ありのままの自分」を表現することを決意します。「三十六度と少しの あたし」はそんな「ありのままの自分」を表現していると考えられます。

そして、稲妻のように鼓膜を撃つじんせいを目指すことが描かれ、本楽曲は終了です。

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考察

他人の目なんて関係ない!

本楽曲では、他人の評価に憂う一人の少女が、自分の原点であるロックンロールを通じてありのままの自分を表現するストーリーを描いた作品であると言えます。現代のインターネット社会において、「音楽」というジャンルは多くの人が幅広く参入するところとなりました。

半面、本楽曲でも歌われたように、楽曲に対する批判的な意見も多くみられるようになりました。音楽とはその性質上「好み」の部分が大きく、人によって好きな楽曲、嫌いな楽曲が出てくるのは当然であると言えます。インターネットの普及によって、そういった「好み」が可視化時代においては、「あたし」のような苦悩を持つ人も多くいるでしょう。

そこで本楽曲のテーマとなる「ロックンロール」は、まさに反骨精神の塊のような音楽ジャンルです。そういった音楽ジャンルをテーマとすることで、「他人の目」なんか関係ない、ありのままの自分を表現するという、「あたし」の生きざまを描いたのが本楽曲である、と言えるのではないでしょうか。

作成者「ツミキ」の心情が表れた楽曲?

本楽曲の作成者であるツミキ氏は、まさにこの楽曲のような生きざまを体現しているような人物です。2017年にニコニコ動画にて楽曲「トウキョウダイバアフェイクショウ」を初投稿し、いきなり10万回再生のニコニコ動画殿堂入りするという快挙を成し遂げて以降、独自の楽曲スタイルを貫いてきたツミキ氏。

ネット評価などにおいても「異端」の名を欲しいままにするツミキ氏だからこそ、本楽曲に現れるような反骨精神を歌詞に表現できたのではないでしょうか。

まさに、現代の音楽シーンに風穴を開けるように刺激的な本楽曲ですが、そこにはツミキ氏の音楽に対する感情が表れているのではないかと感じました。

タイトルに込められた意味

「稲妻」と聞くと、普通はうるさくて、怖かったりする対象ですよね。しかし本楽曲において稲妻は「雨の哀しさや闇を照らす光」として表現されています。これは、「あたし」にとってのロックンロールへの想いが反映された表現であると考えられます。

「あたし」の「期待はずれの音楽」という表現からは、ロックンロールが通常、哀しみに対応する音楽ではないことが示されています。多くの人にとって好まれることがない稲妻を、ロックンロールに重ねて表現したのが、「INAZMA」というタイトルなのではないでしょうか。

タイトルや本楽曲における稲妻に関する表現からも、自らの道を生きるというロックンロールに現れるような反骨精神を感じることができます。

筆者感想

なかなかしびれる楽曲でした…

ロックンロール特有の反骨精神を稲妻に例え、楽曲内で表現するとは、なかなか考え付くものではありません。

デビュー作でこのクオリティだと、今後の活躍にますます注目していきたいと感じたアーティストでした。

昨今、作成者×歌い手という構図は多く見られるようになりましたが、その中でもまた違った、独自のジャンルを確立していくような予感がします。

今後も、ますます注目のアーティストです。

この記事の感想やご意見など、是非コメント欄までお待ちしております!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

それでは(@^^)/~~~

 

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