こんにちは!
今日は、King Gnu(キングヌー)の「カメレオン」を徹底的に考察し、歌詞の意味を解説します!
人には様々な面があり、他人のすべてを理解することは難しい。
しかし、それを知ろうとすることこそが、愛というのではないだろうか。
様々な一面を見せる「君」をひたすらに愛そうとする「僕」の姿が描かれた楽曲です。
そんな本楽曲の魅力に、歌詞分析の観点から迫っていきます!
ドラマ『ミステリと言う勿れ』の主題歌
本楽曲は、菅田将暉主演のフジテレビ系月9ドラマ『ミステリと言う勿れ』の主題歌として書き下ろされました。
主人公である久能整が事件に関係あることないことをひたすら語る中で、様々な人の心を動かしつつ、事件が解決に向かっていく同作品。
単純な事件そのものを見るミステリとしてではなく、取り巻く人間のさまざまな一面を展開していく同作品。
人の多面性に着目した本楽曲は、同作品の主題歌にぴったりです。
以下、King Gnu常田大希のコメントです。
<King Gnu常田大希コメント>
一つの事件にしても一人の人間にしても、それらは実に多面的で色々な顔を持っているものです。
私たちは怠惰な生き物ですので、ある一面だけで判断して総てをわかった気になってしまいがちなのですが、そこで零れ落ちた側面もまた、その人の大事な大事な真実だったりもする訳です。人間という複雑な生き物を、諦めず理解しようと向き合い続けるそこに愛があるのではと思いこの曲を書き下ろしました。
追伸 : 同世代の星、菅田将暉との初タッグということで気合い満々で挑んでおります。めちゃくちゃ名曲出来ちゃったっぽいのでご期待ください!
https://www.fashion-press.net/news/82770 より引用(3月1日閲覧)
コメントにも書かれている通り、人間とは複雑な生き物です。
私達は常に、人の一面だけを見て判断したがります。
その人の全てを知るのって、あまりに疲れますよね。
しかし多くの人は、こんな経験があるのではないでしょうか。
第一印象だけで毛嫌いしていた人の意外な一面を見て、驚いた経験。
驚いて、これまでの態度を後悔した経験。
人をある一面だけで語ることは決してできず、その人のいろんな面を知ろうとすることこそ愛なのでは、と常田は語ります。
そんな、人の多面性と、それを理解しようとするところに生まれる愛に着目しながら、楽曲の考察を進めていきたいと思います!
歌詞の意味
1番
突き止めたい 叶わない
King Gnu「カメレオン」-作成:Daiki Tsuneta
君の正体は
迷宮入りの 難解なミステリー
心変わり色変わり
軽やかに姿を変えたのは
悲しいほどの夕暮れ
僕の知らない君は誰?

ここでは、なかなか「君」のことを理解しきれない「僕」の姿が描かれています。
「君」の正体=本当の姿を知りたい、だけどそれがかなわない「僕」。
そんな様子を表した“迷宮入りの 難解なミステリー”という歌詞は、ドラマにもちなんだ表現になっていますね。
“心変わり色変わり
軽やかに姿を変えたのは
悲しいほどの夕暮れ”
「君」の心は移り変わり、姿を変えていきます。
上の歌詞にあったような「君の正体を掴めない」という感覚は、こういったところに要因があるのでしょう。
そして、そんな風に「君」が姿を変えたのが、とある日の「夕暮れ」だったようです。
「僕」と「君」の関係性については聴き手にゆだねられるところではありますが、とにかく2人は親しい間柄であったようです。
そして、2人の別れがあったのが、悲しい夕暮れだったと考えられます。
2人の別れについては、次に続く歌詞で描かれています。
続きを見ていきましょう。
急行列車が通り過ぎた
King Gnu「カメレオン」-作成:Daiki Tsuneta
寂れた駅のホームには
隙間風が吹き抜けた
君の姿はどこにも見当たらなくて
時を経て通話画面に映った君は
もう僕の知らない君でした
幸せそうに笑うから
つられて僕も笑ってしまった
ここでは、2人の別れと現在について描かれています。
歌詞に描かれる“駅”は、「僕」が普段使う駅のことでしょう。
「急行列車が通り過ぎる」「寂れた」という表現から、おそらく田舎か、小さな町の駅だと思われます。
そして、駅にはもう「君」の姿がない。「君」はこの町を離れて、どこか遠くに行ってしまったのだと考えられます。
“時を経通話画面に映った君は
もう僕の知らない君でした”
前の歌詞で「僕」が住んでいるのが田舎であることが強調されていたので、「君」はどこかの都会に行ってしまったのではないかと予測できます。
都会の生活を楽しんでいる様子の「君」の姿は、「僕」が見たことのないものでした。
続く歌詞では“つられて僕も笑ってしまった”と書いてありますが、「君」の知らない一面を見せつけられた悔しさ、哀愁が隠されているように感じます。
「君」の全てを知った気でいたが、知らない一面があった。このような悲しみを「僕」は持っていたのだと考えられます。
何度でも 何度でも
King Gnu「カメレオン」-作成:Daiki Tsuneta
塗りつぶして
汚れた悲しみの 上から白い絵の具で
全てを台無しにして
放り出してしまった夜さえ
キャンバスは色付くから
涙滲んでにわか雨
ここでは、「僕」の知らない「君」がいた悲しみについて描かれています。
“何度でも 何度でも
塗りつぶして
汚れた悲しみの 上から白い絵の具で”
“汚れた悲しみ”とは、「君」の知らない一面を見た「僕」の悲しみを表現した歌詞です。
勝手に「君」の全てを知った気になっていただけのくせに、いざ知らない一面を見ると悲しくなる「僕」。
そんな自分の気持ちを、「汚れている」と表現しています。
そして、そんな汚れた気持ちを塗りつぶして欲しい、「君」の新たな一面もしっかり見たいと「僕」は思います。
“全てを台無しにして
放り出してしまった夜さえ”
ここもかなり、聴き手にゆだねられる歌詞です。
夕方(別れが決まった瞬間)
→夜(全てを台無しにした)
という時系列になっていますが、この間に何が起きたのか、非常にいろんな想像ができます。
何か喧嘩のようなものを別れ際にしてしまったのか、喧嘩したからこそ「君」は出ていってしまったのか。
はたまた、「君」がいない悲しみから、自暴自棄な行動を一人で夜にしてしまったのか。
前の歌詞で現在も仲がよさそうな描写があるので、筆者的には最後の説かなあと思っています。
しかし、おそらくあえていろんな想像ができるようになっている歌詞ですので、ここの解釈はご自身にゆだねたいと思います。
そして、そんな悲しみの夜でさえも、「君」の新たな一面を理解しようとすることで、塗りつぶして欲しいと「僕」は思います。
“涙滲んでにわか雨”
にわか雨のように、突然流れてしまう涙。
「君」のことを想うと、様々な感情が渦巻くのでしょう。
「君」がいないことで涙を流してしまうという、「僕」の愛情が表現された歌詞です。
2番
記憶の中の君と
King Gnu「カメレオン」-作成:Daiki Tsuneta
今の君はどちらも真実で
鮮やかに色めく君は
もう僕の知らない色

ここでは、どんな一面も全て「君」であることを理解しようとする「僕」の様子が描かれています。
“記憶の中の君と
今の君はどちらも真実で”
「僕」の記憶の中にある「君」の姿と、「僕」が知らなかった君の姿。
後者は「僕」を悲しませた存在ですが、それでも「僕」は「そのすべてが君である」と理解しようとします。
“鮮やかに色めく君は
もう僕の知らない色”
そして今、はなやかに笑顔を振りまく「君」。
「僕」と離れた遠い場所で、「君」は新たな一面を咲かせたのです。
そしてそんな「君」は、もう「僕」が知っていた「君」ではなかったのです。
何度でも 何度でも
King Gnu「カメレオン」-作成:Daiki Tsuneta
塗りつぶして
今の君にお似合いの
何色でも構わないの
伝えたいこの想い
それすら叶わないけど
口にすれば単純な強がり
隣に僕が居なくても
ここでは、どんな「君」でも愛そうとする「僕」の気持ちが歌われています。
“今の君にお似合いの
何色でも構わないの”
「君」の知らない姿を見るのは、少し辛い。
それでも、そんな知らない一面、新たな一面、すべてを含めて「君」という存在なのです。
どんな色でもかまわない。それが「君」に似合う色ならば。
そんな「僕」の気持ちが表現されています。
“口にすれば単純な強がり
隣に僕が居なくても”
ここまで言いながらも、それは口に出してしまえば、強がりにすぎません。
実際のところ、「僕」がいなくても、「僕」の知らないところで「君」は輝いています。
本音でいえば、「僕」だけを見て欲しいのかもしれません。
しかしその願いは、「君」の中の一面を否定することになりかねません。
このような葛藤の中、「僕」は「君」のどんな一面でも見守ろう、受け止めようとしているのです。
2番以降
突き止めたい 敵わない
King Gnu「カメレオン」-作成:Daiki Tsuneta
君の正体は
迷宮入りの 難解なミステリー
心変わり色変わり
軽やかに姿を変えたのは
悲しいほどの夕暮れ
僕の知らない君は誰?
上記の歌詞とほぼ同じの為省略します!
考察
タイトルに込められた意味

本楽曲で描かれたのは、「人の多面性と、それを知ろうとすることで生まれる愛」でした。
人には様々な一面があり、それを自在に体色を変えるカメレオンに例えたのが、本楽曲のタイトルです。
加えて、もう一つ重要な要素があります。
それは、カメレオンは周辺環境によって体色を変えるということ。
人の新たな一面を発見できるとき、それは多くの場合、環境が変わったことによるものではないでしょうか。
学校と家で全然キャラが違うとか、友達によって見せる一面が変わるとか。
人は誰しも、置かれた場所によってさまざまな一面を見せます。
本楽曲でも、住む場所という環境の変化によって、「君」の姿が変わって見えました。
このような、環境によってさまざまな一面を見せるという人という存在を表したタイトルが「カメレオン」である、と言えるのではないでしょうか。
カメレオンなのは「君」であり、楽曲を聴く我々を含めた、人という存在そのものを表す言葉なのです。
愛情という仕組みの複雑さを描いた作品
本楽曲で描かれた「僕」の心境は、大きく二つに分かれます。
ひとつは、「君」のどんな一面も理解しようとする心境。
「僕」が知らない「君」だとしても、それを含めて「君」という存在は成り立ちます。
だからこそ、どんな色=一面を持っていてもいいと「僕」は感じます。
もう一つの心境は、「君」の全てを知りたいという気持ちです。
「僕」が苦しめていたのは「君」に意外な一面があった事自体ではなく、そんな一面を知らなかったことでした。
“隣に僕が居なくても”
自分といないときの「君」の姿はとても輝いていました。そしてそれは、「僕」にとって苦しい事実です。
「君にどんな一面があってもいい。ただ、君の全てを知りたいんだ。」
「僕」が抱く心境は、このようなものだと考えられます。
どんな「君」でも愛するという相手を想う気持ちと、「君」の全てを知りたいというエゴ。
人を愛するときには、一見すると別物だったり、相反するような気持が入り混じった、複雑な感情が生まれます。
本楽曲は、そのような愛情の複雑さが描かれた楽曲でもあると感じました。
筆者の感想
愛情って確かに複雑ですよね。
例えば好きな人にプレゼントを贈るのって、相手のためにした行動なのか、自分が相手に好かれたいからした行動なのか。
どちらも正しく思えます。
このような愛情の複雑さを、さりげなくストーリーに当てはめながら描いていたところに、作詞者の力量を感じました。
2人の関係性、過去に何があったのかなど、ある程度聴き手に想像の余地も残しています。
非常に洗練された楽曲である、と感じました。
この記事の感想やご意見など、是非コメント欄までお待ちしております!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは(@^^)/~~~
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