【歌詞の意味】ヨルシカ「ただ君に晴れ」のここがすごい!「あの夏」に取り残された「僕」が切なすぎる…

【歌詞の意味】ヨルシカ「ただ君に晴れ」のここがすごい!歌詞の意味

こんにちは!

今日は、ヨルシカの「ただ君に晴れ」を徹底考察していきます!

本楽曲は、大人になるにつれてどんどん離れていってしまう「君」に、取り残されてしまった「僕」の心情が表現されています。

子どものころ仲が良かった幼馴染との関係が、年を重ねるごとに疎遠になっていく、という経験がある人も多いと思います。

現代の日本において、距離的な問題からもう一生会えない、という場面はあまりありません。

国内であれば、2~3時間も飛行機に乗れば、大抵の場所には行けますよね。

しかし、会える回数が格段に減るのも事実で、だんだんと連絡を取らなくなっていくという現象は、よく聞く話です。

会おうと思えば会える、でも会う機会がなかなかない。「別れ」とまでは呼べなくても、何となく寂しいものです。

そんな寂しさを感じる「僕」は、「君」のいた「あの夏」に取り残されてしまいます。ヨルシカらしい、美しくも儚い心象表現、それによって作られる独特の世界観。

ヨルシカの魅力が詰まった本楽曲に、歌詞分析の観点から迫っていきます!

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作りこまれたストーリー

本楽曲は、作りこまれたストーリー展開によって構成されています。

これによって聞き手である我々は、楽曲を聴く中で「僕」や「君」の姿を想像しながら聴くことになります。

歌詞や登場人物に共感しながら聴く楽曲というよりは、まるで映画や小説のように、物語を感じながら聴く楽曲になります。

そのため、本楽曲の歌詞分析、考察にあたっては、本楽曲の描くストーリー、曲全体がまとう世界観に注目しながら進めていきたいと思います。

また、本楽曲のストーリーを考える上でもう一点、重要になってくるのが、描かれている「時刻」になります。

時間によって、情景や心情の表現が使い分けられています。

本記事を読む際は、この「時刻によるストーリー変化と世界観」を感じながら読んでいただきたいと思います!

歌詞の意味

1番

夜に浮かんでいた
海月のような月が爆ぜた
バス停の背を覗けば
あの夏の君が頭にいる
だけ

ヨルシカ「ただ君に晴れ」-作成:n-buna
水面に浮かぶ月

この場面では、「君」のことを想いながら一人たたずむ「僕」の姿が描かれています。

”海月のような月”という表現は、クラゲのゆらゆらと漂う様子に、水面に浮かぶ月を例えたものだと考えられます。

それが爆ぜたということは、おそらく「僕」が、雨上がりの水たまりに映る月を踏んだ。

もしくは、川や海に石か何かを投げ込んだことを指すのかもしれません。

この表現から、ひとり寂しく夜に漂う「僕」の姿が想像できます。このあたりは、聴き手の想像にゆだねられます。

ちなみに僕は、「雨上がりの水たまり説」を推します。理由は、【考察:タイトルに込められた意味】にて述べます!

”バス停の背を覗けば
あの夏の君が頭にいる”

という表現は、今はもうここにいない「君」の姿を思い出す「僕」の姿を描いています。

”バス停”という表現は後にも出てきて、「僕」が「君」のことを思い出す場所として用いられています。

これらの歌詞からもわかるように、本楽曲における「夜」は「君」のもういない時間軸の事であることがわかります。

後々の場面でも「夜」の描写は、「君」がもういないことを指すために使われています。

鳥居 乾いた雲
夏の匂いが頬を撫でる
大人になるまで
ほら、背伸びしたままで

ヨルシカ「ただ君に晴れ」-作成:n-buna

この部分では、「君」がいた夏のことを「僕」が思い出している様子が描かれています。

”鳥居 乾いた雲
夏の匂いが頬を撫でる”

「君」と過ごした日のことを思い返している歌詞です。

”乾いた雲”という表現から、時刻は「昼」であることが予想されます。

本楽曲で「昼」は、「君」との思い出が描かれる場面での時間軸となっています。

また、この歌詞での「鳥居」や、先の歌詞にあった「バス停」という表現から、何となく本楽曲の舞台が田舎であるイメージを持ちます。

このように田舎を感じさせる表現は後にも出てくるので、のちに紹介します。

”大人になるまで
ほら、背伸びしたままで”

という歌詞は、「僕」のことを表現していると考えられます。

後の歌詞から、「僕」は「君」に追いつけないと感じていることがわかります。

そんな「僕」は、追いつけない「君」の隣にいることを「背伸びしている」と言っていると考えられます。

もしかすると、「追いつけない」という事実から目を背けてきたが故の事だったのかもしれません。この時点から、離れ離れになってしまうという未来が若干ほのめかされています。

遊び疲れたら
バス停裏で空でも見よう
じきに夏が暮れても
きっときっと覚えてるから

ヨルシカ「ただ君に晴れ」-作成:n-buna

この部分でも、「君」がいた夏のことを「僕」が思い出している様子が描かれています。

”バス停裏”という表現がまた出てきました。どうやらバス停裏は、遊び疲れた後に「君」と休憩した、思い出の場所のようです。

”バス停の背を覗けば”という先ほどの歌詞に対応した表現になっていますね。

”じきに夏が暮れても
きっときっと覚えてるから”

この夏が終わって、時間が経ってしまったとしても忘れないという表現ですね。

この歌詞では「きっと」という言葉を反復して、言い聞かせているようにも思えます。

本楽曲を聴いていくと、「僕」の方はもちろん「あの夏」のことを覚えていますが、「君」の方はどうかわかりません。

これも、聴き手にゆだねられるところですが、もし「君」はとうに忘れてしまっているのであれば…切ないですね(´;ω;`)

ちなみに筆者は、忘れてしまったのではないかと考えています。(無情)

追いつけないまま大人になって
君のポケットに夜が咲く
口に出せないなら僕は一人だ
それでいいからもう諦めてる
だけ

ヨルシカ「ただ君に晴れ」 -作成:n-buna

ここでは、「僕」の心情が描かれています。

”追いつけないまま大人になって
君のポケットに夜が咲く”

「君」に追いつけないまま大人になってしまった「僕」は一人取り残されていきます。

”ポケット”は解釈が別れそうですが、筆者は「君の内に秘めた思い」であると考えました。

先にも述べたとおり、「夜」は二人が離れ離れになった現在を暗示します。

つまり”君のポケットに夜が咲く”とは、「君」と離れ離れになってしまった現在の状態を表した表現であると言えます。

物語的に考えれば、夢を叶えるために育った街を出ていく、といったところでしょうか。

「僕」は、本当は「君」といつまでも一緒にいたいのかもしれません。

しかし、そんな思いを口に出せない「僕」は、離れ離れになる未来を変えることを諦めてしまったのです。

2番

夏日 乾いた雲
山桜桃梅 錆びた標識
記憶の中はいつも
夏の匂いがする

ヨルシカ「ただ君に晴れ」-作成:n-buna
鳥居と田んぼ

ここでも1番と同じように、「あの夏」の思い出が描かれています。

山桜桃梅(ユスラウメ)については、以下のページを参考にさせていただきました。

ユスラウメ(梅桃)の花言葉|種類、特徴、色別の花言葉 
ユスラウメ(梅桃)の花言葉や種類、特徴をご紹介!ユスラウメ(梅桃)は、春に可愛い花を咲かせて初夏に赤い実をつける樹木。育てやすい家庭果樹としても人気があります。

このページによると、山桜桃梅の花ことばは「郷愁」です。その由来は、

『ユスラウメ(梅桃)の花言葉「郷愁」は、庭や畑になっていた実を食べた子供の頃のなつかしい思い出のイメージから付けられたと言われています。』

と書かれています。この花もまた、田舎らしさを表す表現であり、花言葉も本楽曲をよく表していると言えます。

また、”夏の匂い”という表現も、「バス停」と並んで、「あの夏」を思い出させる要因として描かれています。

写真なんて紙切れだ
思い出なんてただの塵だ
それがわからないから、
口を噤んだまま
絶えず君のいこふ
記憶に夏野の石一つ

ヨルシカ「ただ君に晴れ」-作成:n-buna

この部分では、現実に目を向けられない「僕」の様子が描かれています。

”写真なんて紙切れだ
思い出なんてただの塵だ”

という歌詞では、少し語気を強くしています。

これは、「僕」が「君」との思い出にすがっているからこそなのかもしれません。

心のどこかでは、思い出にすがっても意味がないことに気が付いているのでしょう。

しかし、「君」がいない現実を認められない「僕」は、口を噤んで黙り込んでしまいます。

”絶えず君のいこふ
記憶に夏野の石一つ”

この歌詞、実はある俳句のオマージュではないかと考えられます。

それが、正岡子規の「絶えず人のいこふ夏野の石一つ」という俳句です。

元の俳句は、「絶えず人が行き交う夏野に石が一つあり、そこに皆腰かけ、足を休ませている。」といった情景を描いています。

本楽曲では、絶えず行き交うのは「君の記憶」です。

夏の情景の中に、いつまでも君がいることを表現しています。

こういった表現はJPOPの中にはあまり見られず、おもしろいですね。

俯いたまま大人になって
追いつけない ただ君に晴れ
口に出せないまま坂を上った
僕らの影に夜が咲いてく

ヨルシカ「ただ君に晴れ」-作成:n-buna

ここでも、「君」に追いつけない僕の様子が描かれています。

”俯いたまま大人になって
追いつけない ただ君に晴れ”

「一緒にいたい」と言えない自分、「君」が離れていってしまうという予感を放置している自分の姿を表現した歌詞です。

”ただ君に晴れ”は、タイトルでもありますね。

大人になって、どんどんと遠ざかっていく=新しい場所で頑張ろうとする「君」のことを表しているのでしょう。

ここについては、詳しくは考察編で改めて述べたいと思います。

”口に出せないまま坂を上った
僕らの影に夜が咲いてく”

先ほどの歌詞から出てくる口に出したいこととは、「一緒にいたい」という言葉でしょう。

”夜が咲いてく”という情景描写から、この場面の時間帯は「夕方」あたりでしょうか。

「君」がいる時間軸である「昼」から、君との別れを象徴する「夜」近づいていることが表現されています。

2番以降

俯いたまま大人になった
君が思うまま手を叩け
陽の落ちる坂道を上って
僕らの影は

ヨルシカ「ただ君に晴れ」-作成:n-buna

ここでも1、2番のサビと同じような心情が描かれています。

”俯いたまま大人になった
君が思うまま手を叩け”

表現が”大人になった”となっているのが、「なってしまった」という、もう元には戻らない切なさをよく表現しています。

「君」は自分自身の道を行け、と言っているような歌詞ですが、これも自分に言い聞かせているように感じます。

”陽の落ちる坂道を上って 僕らの影は”という歌詞は途中で切られていますが、ここから「僕」は「君」に追いつけないまま「夜」が来て、二人が離れ離れになることが想像できます。

追いつけないまま大人になって
君のポケットに夜が咲く
口に出せなくても僕ら一つだ
それでいいだろ、もう
君の想い出を噛み締めている
だけ

ヨルシカ「ただ君に晴れ」-作成:n-buna

”追いつけないまま大人になって 君のポケットに夜が咲く”は、前述の通りなので省略します!

”口に出せなくても僕ら一つだ
それでいいだろ、もう”

この歌詞で口に出せない内容も、「一緒にいたい」で一貫しています。

ここでは、例え口に出せなくても僕らの思い出は一つだ、と自分に言い聞かせています。

「想い出」という表記も、「君」への思いの大きさを表していますね。

「あの夏」のことは単なる出来事ではなく、「僕」の記憶に深く刻み込まれたものです。

だからこそ「僕」は、「君」のことをこんなにも想っているのでしょう。

結局最後まで、何も変わることができなかった「僕」。

これからも「君」の思い出にとらわれながら「僕」が生きていくことがほのめかされ、本楽曲は終了です。

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考察

時刻によるストーリー変化と世界観

日本の田舎の風景

本楽曲においては、時間とストーリーが密接に関係していることは先にも説明したとおりです。

改めてまとめると、

時間とストーリーの関係

=「君」と過ごした「あの夏」

=「君」のいない現在

夕方=「君」との別れが近づくことを暗示する中間点

となります。

この視点から歌詞を見ると、物語と時間がリンクしていることがよくわかると思います。

この時間表現は「僕」の心情を表すとともに、ストーリー展開を支える心象表現として用いられているのです。

「口に出せない」に現れる「僕」の心情

本楽曲では、”口に出せない”という表現が3回現れます。

一貫して表現したいことは、「君と一緒にいたい」という気持ちですが、一つ一つの用いられ方に、微妙な違いがあります。

1番サビ
”口に出せないなら僕は一人だ
それでいいからもう諦めてる”

1番では、自分に言い聞かせているような表現になっています。

あの時、「一緒にいたい」と言えなかった自分。

後悔しても、もう「あの夏」に戻ることはできません。

だからこそ、「それでいい」と自分に言い聞かせるしかないのです。

2番サビ
”口に出せないまま坂を上った
僕らの影に夜が咲いてく”

2番では、1番に描かれた「『一緒にいたい』と言えなかった自分」が表現されています。

「君」に「行かないで」と伝えたかった。でも、伝えられなかった。

だから、「君」は行ってしまった。

実際のところ、それを伝えたところで二人がどうなっていたのかはわかりません。

しかし、あの時動けなかった自分でなければ、もう少し変わっていたかもしれません。

そんな後悔の念があったからこそ、1番では「もう諦めてる」と自分に言い聞かせていたのかもしれません。

3番サビ
”口に出せなくても僕ら一つだ
それでいいだろ、もう”

3番では、「君」に追いつけないことを諦めて開き直っています。

今となっては、どうすることもできないからです。

だからこそ、「僕」は想い出にすがるしかないのかもしれません。

これは半分筆者の感想ですが、こんな風に想い出にすがってしまう「僕」の姿は切なくも、そんなことをしているから「君」に追いつけないというアイロニーを感じずにはいられません…

追いつけなかったからこその気持ち。

それが、さらに「僕」を「君」から遠ざけているようで、より切なく感じてしまいます。

田舎マジックによるノスタルジー

筆者ははじめ、本楽曲は歌詞や登場人物に共感しながら聴く楽曲というよりは、まるで映画や小説のように、物語を感じながら聴く楽曲である、という風に述べました。

しかし本楽曲を聴く中で、何となく懐かしい感じがして、「僕」に共感を覚えた人も多いのではないでしょうか?

その理由は、日本人には、日本的なノスタルジーを感じる場面があるからです。

例えば、井上陽水の「少年時代」を聴いたり、ゲーム「ぼくのなつやすみ」(古いか…)をしたときに感じる、「懐かしい」という感覚です。

自分が実際に経験していなくても、何となく「懐かしい」と感じる場面が我々にはあります。

本楽曲にも、同じようなノスタルジーを感じる人も多いでしょう。

その理由が、「田舎マジック」と称した田舎を思わせる表現の数々です。

筆者も田舎で生活した経験はありませんが、本楽曲から懐かしさを感じました。

それは、「鳥居」「古びたバス停」「山桜桃梅」などの表現によって作られる田舎のイメージであり、これらの単語がノスタルジーを感じる要因になっているのです。

これは本楽曲の世界観を作るうえで大きな役割を果たしており、この世界観構成の巧みさが、流石の一言ですね。

タイトルに込められた意味

タイトルにある「晴れ」とは、成長した「君」の姿、「君」の未来を指していると考えられます。

「晴れ着」「晴れの日」に象徴されるような、成人=大人になることを指しているのかもしれません。

いずれにせよ、成長して故郷を離れた「君」を表現した言葉になっています。

同時に、そんな「君」に追いつけない「僕」を皮肉ったような表現になっています。

筆者は先に、”海月のような月が爆ぜた”について、「雨上がりの水たまりに映る月」という可能性を示しました。

この仮説に至った理由は、実はタイトルにあります。

本楽曲中、「僕」と「君」は対比的に描かれています。

この視点で考えると、「君」の様子を表す言葉が「晴れ」であるとするなら、「僕」には「雨」と言えるのではないか、と思ったわけです。

この仮説が正しければ、タイトルを補完すると「ただ君に晴れ、僕に雨」とすることもできそうです。

しかしながら、単に「水面に石を投げ込んだ説」も有力です。

この説には賛否ありそうですが、筆者は個人的に「晴れ」との対比であった方がタイトルがより輝いて見えたため、この説を推します。

筆者の感想

ヨルシカの魅力的な表現が存分に発揮されており、聴き手を楽曲の中に誘う圧倒的な世界観。

まさに、「ヨルシカワールド全開!」といった楽曲でしたね。

こうして改めて歌詞分析をしてみると、初めて聴いた時とはまた違った感動がありました!

本考察では最後に、「晴れと雨の対比」という、割と筆者の個人的な解釈を盛り込みました。本当は歌詞分析において、あんまりよくはないのですが…(笑)

まあ、考察編で書いたので許してください!(笑)この説に気づいたときに、「これやん!!」と思ってうれしくなってしまったのです…

上記の説や、他にも本考察におけるご意見、ご感想など、是非コメントにお願いします!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

それでは( ^^) _U~~

 

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