こんにちは!
今日は、Uruの「それを愛と呼ぶなら」を徹底的に考察し、歌詞の意味を解説していきます!
失って初めて気が付く、「大切なもの」。
優しいメロディーと歌詞ながらも、力強いメッセージを感じることができる楽曲です。
そんな本楽曲の魅力に、歌詞分析の観点から迫っていきます!
✔「大切なもの」に気が付いた「僕」の感情
✔歌詞に込められた力強いメッセージ
✔Uruが描く「愛」とは?
ドラマ『マイファミリー』の主題歌
本楽曲は、TBS系日曜劇場『マイファミリー』の主題歌として書き下ろされました。
ドラマ『マイファミリー』は、ゲーム会社の社長で何もかもを手に入れたはずの主人公・鳴沢温人が小学生の娘を誘拐され、妻・美知留とともに誘拐犯に立ち向かっていくノンストップファミリーエンターテインメントです。

順風満帆な人生の中、たった一つ失ってしまった一番大切なもの、そして直面する数々の試練。
日常に潜んでいた、自分にとって一番大切なものとは何なのかに気づかせてくれる作品になっています。
本楽曲についてUruは、次のようにコメントしています。
この曲は、一度躓いてしまったからこそ気付けたことや、それによって自分はどう変わっていくのかという心情を歌った再生、再起の曲として作りました。
メロディーや歌詞も含め、前を向けるような、大切な人への気持ちに素直になれるような曲にしたいと思いながら作ったので、この気持ちがドラマとリンクできたら嬉しいですし、曲を聴いた人の心にも伝わって欲しいなと思います。
https://uru-official.com/news/detail/939 より引用
一度躓いたからこそ見えた「大切なもの」について歌った楽曲であると語るUru。
Uruの伝えたかったメッセージに着目しながら、歌詞の分析を進めていきたいと思います!
歌詞の意味
1番
掛け違えていたボタン一つずつ
Uru「それを愛と呼ぶなら」-作成:Uru
下から順に外してもう一度重ねていく
君がくれた時間と温かさを
この胸が教えている

ここでは、何気ない日常に潜んでいた幸せについて描かれています。
“掛け違えていたボタン一つずつ
下から順に外してもう一度重ねていく”
ドラマの内容を鑑みると、この歌詞は我が子と接する「僕」の様子が描かれた歌詞であると考えられます。
我が子がひとりで服を着たものの、ボタンを掛け違えている。
優しい笑みを浮かべながら、膝をついてボタンをかけなおす「僕」の様子が目に浮かびます。
何でもないような日常の光景ですが、こういった当たり前を幸せに感じていた「僕」の気持ちが伝わってきます。
“君がくれた時間と温かさを
この胸が教えている”
そして、このように今幸せを感じるのは、「君」を失った、もしくは失いかけたからこそです。
これはのちの歌詞から読み取れるのですが、「僕」がこうして「君」といた日々を幸せに感じているのは、「君」を失ってしまったからこそです。
「君」のいない時間に感じる悲しみや苦しみは、「君」という存在の大切さを「僕」に伝えているのです。
空が青いとか花が咲くとか
Uru「それを愛と呼ぶなら」-作成:Uru
君が笑うとか抱きしめるとか
すぐそばにあったこの幸せを
今痛いくらい感じてるよ
ここでも、失って気付いた「君」という存在の大切さが描かれています。
“空が青いとか花が咲くとか
君が笑うとか抱きしめるとか”
言ってしまえば、なんてことない日常のワンシーン。
あまりにも近くて気づいていなかった幸せの数々を、「君」を失った今「僕」は痛いほど感じています。
守りたいものがあると、
Uru「それを愛と呼ぶなら」-作成:Uru
そこに未来があるんだと
君のいる場所まで迎えにいくから
雨風に打たれてボロボロになったら
不格好な姿を笑ってくれ
一度転んだからこそ
見える世界があるなら
もう二度とその手を離さないように
やっと気づいたんだ君と過ごす日々
本当に欲しかったものが
そこにあるんだよ
ここでは、「君」を取り戻そうと決意する「僕」の様子が描かれています。
「君」という存在は「僕」にとって守り抜きたいものであり、「僕」の未来そのものです。
そして「僕」は、“君のいる場所まで迎えにいく”=「僕」自身の手で「君」を取り戻してみせると決意を固めます。
“雨風に打たれてボロボロになったら
不格好な姿を笑ってくれ”
どんなにボロボロになって、不格好になったとしても、「僕」の望みはただ一つ。
「君」に笑っていて欲しい。
君」を取り戻せさえすれば、「僕」はどうなってしまっても構いません。
「僕」の決意の強さが感じられる歌詞です。
“一度転んだからこそ
見える世界があるなら
もう二度とその手を離さないように”
一度失ったからこそ気付いた、「君」という存在の大切さ。
「僕」はもう二度と、「君」を失ったりはしないと心に誓います。
「君」と過ごす日々こそが「僕」にとってかけがえの無いものであり、本当に必要なものなのです。
2番
一人で歩いて来た顔をして
Uru「それを愛と呼ぶなら」-作成:Uru
失いかけてからようやく目を覚ました
そばにあった存在のその温もり
僕はそう大馬鹿者だ

ここでは、「君」に支えられてきたという事実に気が付いた「僕」の様子が描かれています。
“一人で歩いて来た顔をして
失いかけてからようやく目を覚ました”
ここまで歩んできた人生、そのすべては自分の力だったと「僕」は感じていたのかもしれません。
そうでなくても、どこかで感じていた自分の力で成し遂げたという気持ち。
実はそれらは、「君」という存在がそばにいて、支えてくれていたからできたものでした。
一人暮らしをして初めて感じる親のありがたみとか、彼女と別れてから仕事に力が入らなくなったとか。
この歌詞で描かれているのは、我々自身も感じることのある、一人でやっていると思っていたが、実は誰かに支えられていたという事実なのです。
そして、そんな事実に気が付けなかった「僕」は、自分のことを“大馬鹿者”と言います。
初めて知る自分の弱さとか
Uru「それを愛と呼ぶなら」-作成:Uru
隠し切れなかったこの幼さも
きっと君は知っていたんだろう
それでも信じてくれたこと
ここでは、いつもそばにいてくれた「君」という存在のことが描かれています。
先ほどの歌詞にあったように、実は「君」にたくさん支えられていた「僕」。
「君」を失って初めて、「僕」は自分の弱さや幼さに気が付きました。
言い換えれば、今まで気が付いていなかっただけで、実は「君」が「僕」の弱さや幼さを支えてくれていたのです。
そして、そんな弱くて幼い自分のことを信じてそばにいてくれた「君」という存在の大切さを、改めて「僕」は感じるのです。
返したいものがあると、
Uru「それを愛と呼ぶなら」-作成:Uru
見つけたいものがあると
君のいる場所まで迎えにいくから
雨風に打たれてボロボロになっても
変らないこの想いを伝えにいくよ
ここでも1番と同じように、「君」を取り戻そうと決意する「僕」の様子が描かれています。
“返したいものがあると、
見つけたいものがあると”
先ほどの歌詞にあったように、「君」にたくさん支えられてきた「僕」。
言うなれば、「君」に対する感謝の気持ちを返したいと「僕」は願います。
“見つけたいもの”の解釈はいろいろありそうですが、「僕」が「君」にしてあげられることくらいが妥当でしょうか。
これらの歌詞では1番と同じく「君」を取り戻したいという気持ちが描かれていますが、その理由に若干の違いが見られます。
そして僕のこの気持ちは、どんなに困難があろうと決して変わることはないのです。
2番以降
見落としてきた涙も
Uru「それを愛と呼ぶなら」-作成:Uru
すり替えてきた感情も
取り戻すように走れ 走れ
同じものはないたった一つの輝き
ここでは、「君」を取り戻すために全力を尽くす「僕」の様子が描かれています。
“見落としてきた涙も
すり替えてきた感情も”
今まで気が付けなかった涙や感情は、「君」を失うという大きな苦しみです。
近くにいるからこそ、なかなか見えていなかった大切な存在に、「僕」はようやく気が付いたのです。
そして「僕」は、「君」を取り戻すために、全力で走り続けます。
「君」に代わる存在など、この世には無いのです。
支え合える喜びも
分かち合える悲しみも
いつの日か揺るがない形になって
世界中を探してもここにしかないもの
それを愛と呼ぶなら守りたいものがあると、
Uru「それを愛と呼ぶなら」-作成:Uru
そこに未来があるんだと
君のいる場所まで迎えにいくから
今はっきりと言えるよ 大切な人よ
いつまでも僕のそばには君がいて欲しい
ここでは、代わりのいない「君」という存在の大切さについて描かれています。
お互いに支え合えるという喜びは共有し、日々に感じる悲しみは分かち合えるのは、「君」という存在がいてこそです。
“いつの日か揺るがない形になって
世界中を探してもここにしかないもの”
いつの日か「君」を取り戻したとき、「僕」はもう「君」の大切さを見失ったりはしません。
世界中を探しても代わりの見つからない、この思いこそ愛だと「僕」は感じます。
そして「僕」は、いつまでも「君」がそばにいて欲しいと願い、本楽曲は終了です。
考察
1番と2番で描かれる大切さの違い

本楽曲では、一貫して「君」という存在の大切さが描かれていました。
その中で、なぜ大切に感じるのかという理由について、1番と2番では違いが見られました。
1番では、何気ない日常に感じる幸せが理由とされていました。
服のボタンをかけなおしてあげるとか、天気や花の話をするとか。
特別なことはありませんが、そこにはいつも笑顔があった事でしょう。
1番で描かれた大切さは、そんな幸せを感じる瞬間でした。
一方2番では、「君」に支えられていたという事実が理由とされていました。
一人でやってきたと思っていたことは、実は「君」という存在に支えられていたからこそできたことでした。
自分の弱さや幼さが露呈して悲しみにくれずに済んだのは、「君」がそういう「僕」の弱点を包み込んでくれていたからです。
「君」がいないと、何にもできない。
「僕」は失って初めて、「君」に支えられてきたという事実を感じたのです。
「君」といる幸せと、「君」がいるからこそ薄れて感じていた苦悩や悲しみ。
プラスの感情はより大きく、マイナスの感情はより小さくしてくれたのが「君」という存在だったのです。
ベクトルの違う2つの感情が指し示す事実こそ、「君」という存在の大切さでした。
1つの理由ではなく、様々な理由で「僕」は「君」のことを大切に思っているのです。
並べられた2つの事実は、人生においていかなる時も大切にしなければならない「君」という存在の大きさを示していたのではないでしょうか。
「大切なもの」に気が付かせてくれる楽曲
本楽曲で「大切なもの」として表現されていた「君」は、おそらく「我が子」のことではないかと考えられます。
ドラマ内容的にも、ボタンをかけなおす歌詞などからもそう感じられます。
しかし、実は楽曲内において「君」が我が子であることを示しているのは、上記のボタンをかけなおす歌詞だけです。
それには、次のような理由があると考えられます。
楽曲を聴く我々には、それぞれ自分だけの「大切なもの」があるはずです。
それこそ我が子という人もいれば、恋人、友達などなど、それぞれ違った「君」がいるはずです。
「君」の正体が何者であるのかあまり強調しないことで、我々はそれぞれ違った「君」を感じながら、本楽曲を聴くことができるのではないでしょうか。
ドラマ世界観に合わせながらも、それぞれの「大切なもの」に思いをはせることができることは、本楽曲大きな魅力であると言えます。
筆者の感想
暖かい歌詞は優しさを感じながらも、「大切なもの」を絶対に手放してはいけないという強いメッセージも感じることができる楽曲でした。
たくさん考えさせられるし、いろんな感情が渦巻く楽曲ですが、どこか悲観的ではなく、前向きな気持ちにさせてくれます。
大切な人のことを思いながら味わいたい楽曲だと感じました。
この記事の感想やご意見など、是非コメント欄までお待ちしております!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは(@^^)/~~~
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