こんにちは!
今日は、back numberの「黄色」を徹底考察し、歌詞の意味を解説していきます!
AbemaTV作成の恋愛リアリティー番組「オオカミ君には騙されない」シリーズの最新作、「虹とオオカミには騙されない」の主題歌として書き下ろされた本楽曲の魅力に、歌詞分析の観点から迫っていきます!
切ない同性愛について歌った楽曲
本楽曲は、叶うことのない同性愛に苦悩する人物を視点として描かれています。このことは、本楽曲の公式MVを見ることでよくわかります。
同MV内では、おそらく親友であろう女性に恋心を抱く主人公が、本心を伝えられず苦悩する様子が描写されています。
親友から恋人になれたら、どれほどいいだろうか。そんな主人公の淡い期待は、2人が年を重ねるにつれどんどん薄れていきます。
最終的には、お互いに違う相手(本楽曲の趣旨からして、おそらく異性の相手でしょう…)と結ばれたことが示唆されて、MVは終わります。
昨今はLGBT認知もかなり広まり、数年、数十年前に比べて同性愛はかなり一般的なものになりました。しかしそこには、まだまだ異性間恋愛に比べて、様々な障壁があるように思います。
さらに本楽曲の視点人物である「私」は、「君」と親しい関係であることもあり、想いを伝えたらこの関係が壊れてしまうのでは、という不安の中で揺れ動くこととなります。
そんな、かなえられない恋心を切なく歌ったのが、本楽曲であると言えます。
MVの完成度もかなり高く、とても素敵で切ない作品となっているので、まだ視聴していない方は是非ともご覧いただければと思います。
歌詞の意味
1番
この気持ちが私の胸を衝いて
back number「黄色」-作成:清水依与吏
いつか目の前の君に届くまで
あとどれくらいの時間をかけて
どんな道を通るだろう

ここでは、「私」の恋心が、「君」になかなか届かないことが示されています。
”この気持ちが私の胸を衝いて
いつか目の前の君に届くまで”
この歌詞は、「君を好き」という気持ちがあふれ出して、君に届くことについて歌われています。
”あとどれくらいの時間をかけて”という表現からは、恋心が今はまだ届かないこと、これから先もかなり長い時間をかけなければ届かないことがわかります。
そして、それほど遠い「私」と「君」の恋心の距離は、この恋が成就しないことも暗に示唆しています。
また、”どんな道を通るだろう”という表現は、のちに解説する本楽曲の「信号機を用いた表現」にちなんだものとなっています。
君の恋を邪魔しないように
back number「黄色」-作成:清水依与吏
どうか綺麗なままで育ってね
なんてたぶん無理だけどね
ここでは、叶わない「私」の恋の気持ちが描かれています。
”君の恋を邪魔しないように
どうか綺麗なままで育ってね”
この歌詞からは、「君」のことを思い、一歩引いた目で見守る「私」の様子が見て取れます。
MV内では、「君」の彼氏と思われる人物が登場します。「私」が想いを伝えることは、「君」ことを邪魔してしまうと感じている様子が描かれています。
一方で、”どうか綺麗なままで育ってね”という表現からは、「君」が「私」以外の誰かと結ばれることを望まない「私」の本心が見て取れます。
綺麗なまま=純真無垢なまま、つまり恋愛経験のないままいてほしいと思う「私」の気持ちが表現されています。
この2つの気持ちは、なかなか両立が難しい願いであると言えます。
「君」に思いを伝えることで「君」の邪魔はしたくない、でも他の誰かのものになってほしくもない。
想いを伝えられないからこそ生まれる「私」のわがままとも取れるこの気持ちは、非常に切ないです。そんな気持ちが表れたのが、”なんてたぶん無理だけどね”という歌詞です。
交差点で君を見付けた時に
back number「黄色」-作成:清水依与吏
目が合った瞬間で時間が止まる
信号は青に変わり 誰かの笑う声がした
まだ私は動けないでいる
これ以上心に君が溢れてしまえば
息が出来なくなってしまう
今は硝子の蓋を閉めて

ここでは、他の誰かと結ばれようとする「君」のことを見守るしかない「私」の切ない気持ちが表現されています。
交差点で「君」と出会った瞬間に、一瞬世界が止まったかのような感覚に襲われる「私」。きっと本心では、すぐにでも「君」のもとに駆け寄りたいのでしょう。
”信号は青に変わり 誰かの笑う声がした
まだ私は動けないでいる”
しかし、そこに聞こえたのは「誰かの笑う声」でした。
信号は青に変わった、つまりやろうと思えば君に駆け寄り、声をかけることができた「私」ですが、その一歩は出すことができませんでした。
本心では「君」のことが好きなのに、そのことを伝えることができないでいる「私」の心には、哀しみと苦しさが溢れています。
そんな気持ちが表れたのが、”これ以上心に君が溢れてしまえば 息が出来なくなってしまう”という歌詞です。
そして「私」は、「君」のことを思うほどに辛いこの気持ちを、心の奥底に封印します。
まるで、ジュースのガラス瓶に蓋を閉めるように、まだ飲みかけ=伝えることができていない恋心に蓋をするのです。
2番
もしも君が今と違う顔で
back number「黄色」-作成:清水依与吏
もっと違った声をしていたら
こんなに苦しい思いをせずに
今日を過ごしていたのかな
たぶん違う出会い方でも
同じように君を好きになったよ
だってそういうものだからね
ここでは、1番にあったような苦しみについて思いをはせる「私」の姿が描かれています。
もし、顔が違えば、声が違えば、「君」を好きにならずに済んだ=こんな苦しみはなかったと「私」は思います。
”たぶん違う出会い方でも
同じように君を好きになったよ”
この部分の歌詞では、どんなに違う出会い方をしていても、きっと「私」は「君」を好きになっていたと、前の部分の考え方を自ら否定しています。
”だってそういうものだからね”という歌詞からもわかるように、恋心とは理屈では説明できない側面があります。
それこそ、「君」のことを好きになることは、「私」にとって運命とも呼べるほどに、避けられない絶対だったのでしょう。
私が私じゃ無くなるくらい
back number「黄色」-作成:清水依与吏
君の姿仕草を焼き付けている
いつも視線をたどって
言葉はどれも痛くて
気付かれないように あの子を恨んで
少しくらいズルくても手に入るなら
そんな汚い私がこぼれ出さないように
今は硝子の蓋を閉めて
ここでは、本心ではどんな手を使ってでも「君」を手に入れたいと、恋焦がれる「私」の気持ちが表現されています。
”私が私じゃ無くなるくらい
君の姿仕草を焼き付けている”
この歌詞からは、我を忘れるほどに「君」を想う「私」の様子が見て取れます。
そして、そんな強い恋心は、”言葉はどれも痛く”に表れるように、何気なく交わす会話すらも、心にズキッと突き刺さる凶器に変えてしまいます。
”気付かれないように あの子を恨んで
少しくらいズルくても手に入るなら
そんな汚い私がこぼれ出さないように”
そして「私」は、「君」と結ばれるであろう「あの子」をこっそりと恨み、本心では「どんな手を使ってでも君のことを手に入れたい」と思っています。
しかし、「君」のことを思い、「私」はそんな本心にも硝子の蓋をそっと閉めるのです。
2番以降
私の中で今も渦巻く
back number「黄色」-作成:清水依与吏
この気持ちを目で見える形に
変えてしまったなら
小さな身体を突き破って
空を覆い君を隠すでしょう

ここでは、今なお忘れられない「君」への気持ちが表現されています。
MV内では、2人は別々の人と結ばれたことがわかりました。
楽曲内だけで見ても、「今も」という表現から、1、2番とは違う時間軸でこの部分の歌詞が語られていることがわかります。
このように考えると、1、2番までの歌詞は過去、この部分からの歌詞は現在であると推測できます。
”小さな身体を突き破って
空を覆い君を隠すでしょう”
別々の道を歩み、お互いに別の人と結ばれようとする今になっても、「私」は「君」のことを強く思い続けます。
それは、「私」の小さな身体をはるかに超えるほど、空を覆いつくすほど大きな気持ちであることがわかります。
もしかすると、硝子の蓋で押さえ続けたからこそ、ここまで大きく育ってしまった気持ちである、という風に解釈できるかもしれません。
交差点で君を見付けた時に
back number「黄色」-作成:清水依与吏
目が合った瞬間で時間が止まる
信号は青に変わり
誰かの笑う声がした
まだ私は動けないでいる
前述してるので省略します!
これ以上心に君が溢れて
back number「黄色」-作成:清水依与吏
誰かを傷付けてしまわないように
君の恋の終わりを願う本当の私に
今は硝子の蓋を閉めて
ここでは、自分の本心に今一度蓋を閉める「私」の様子が描かれています。
「誰か」とは、「君」と結ばれた人、「私」と結ばれた人の他に、「君」自身の事をを指すと思われます。
もし今「君」に思いを伝えたとしても、必ず「誰か」かが傷ついてしまいます。たとえそれが、どんな結果に終わったとしてもです。
だからこそ私は、自分自身が傷つく道を選びます。
本心では”君の恋の終わりを願う”のに、そんな気持ちにそっと硝子の蓋を閉めるのです。
考察
タイトルに込められた意味

本楽曲には、信号機を使った表現が用いられています。ふつう信号機においては、青色とは「進んでも良い」状態を示します。
しかし本楽曲では、”信号は青に変わり 誰かの笑う声がした まだ私は動けないでいる”と表されていました。
これはすなわち、「物理的には、やろうと思えば進むことができる。しかし、進むことができないでいる」私の状態を表していると言えます。
本当は想いを伝えたい、でもそれは叶わない。進みたいけど進めない、そんなもどかしい気持ちは、まさに信号機の示す「黄色」によく似ています。
最初にも述べたように、同性愛は今の時代、それほど珍しいものではなくなりました。
さまざまな困難を乗り越え、結ばれた同性愛者は世界的に見ても数多くいます。
だからこそ、「私」が置かれている状況も、止まれ=赤色とは言えません。きっと「私」も、そのことはよく理解しています。
しかし、「私」にとっては、勇気を振り絞って前に進める青色でも決してないのです。そんなもどかしさの中で苦しむ「私」の気持ちを、「黄色」というタイトルに込めたのではないでしょうか。
「今は」に込められた本心
本楽曲内では、”今は硝子の蓋を閉めて”という表現が多く用いられています。
先にも述べましたが、これは飲みかけのジュースのガラス瓶に蓋を閉める様子に、本心を隠す「私」の様子を例えた表現であると考えられます。
ジュースの蓋を閉めるという行為は、飲みかけのまま放置する、つまり状態を「保留」していると言えます。
この歌詞があることで、「私」は「君」への想いを断ち切り、完全に諦めているわけではなく、恋心を伝えることを常に「保留」している状態にあることが示されていると思われます。
今は蓋をして閉じ込めた想いも、いつかその蓋を開けて開放することを「私」は望んでいるのかもしれません。
だからこそ、「今も」という歌詞を何度も歌っているのではないでしょうか。
そして「今は硝子の蓋を閉めて」という歌詞は、楽曲の始めと終わりに用いられています。
これは、過去にも、そしてこれから先も、「いつかは想いを伝えたい」と思い続ける「私」の気持ちを表していると考えられます。
こういった表現から、来るはずのない「いつか」を想い続ける「私」の切なさ、この恋の困難さ、恋心の大きさが、聴き手に伝わってくるのではないでしょうか。
同性愛だけでなく、恋愛の苦しみを描く?
本楽曲では同性愛がひとつのテーマとして用いられていましたが、筆者は他にも様々な恋の困難に本楽曲は当てはまるように感じました。
本楽曲の一人称である「私」、そして「君」に用いられた「どうか綺麗なままで育ってね」という表現は、ともにどちらかと言えば女性的な表現であると言えます。
何より、MVに表現されていたのは女性が女性に思いを寄せる姿であり、本楽曲を「女性同士の同性愛について描かれた楽曲である」とすることは妥当であると思われます。
しかしながら、実は楽曲内には、それ以外の同性愛を思わせる表現はほとんどありません。
実際に筆者も、正直なところMVを見るまで、本楽曲が同性愛をテーマにしているとは感じていませんでした。
MVを抜きにして楽曲だけで見た時に、本楽曲が描くのは、「思いを伝えられない恋愛の苦しみ」なのではないかと筆者は感じました。
先に言った女性的な表現であるというのも「どちらかと言えば」という判断にすぎませんし、男と女、男同士と解釈しても、本楽曲は成り立つように思います。
恋愛に対する「想いを伝えられない苦しみ」は人それぞれであり、聴く人によって想像の余地を残すところでもあります。
本楽曲における恋愛の苦しみを、立場の違い、年齢の差、友人関係など様々な要素に置き換えて聴くことでも、本楽曲を楽しむことができると筆者は考えています。
本楽曲では、様々にある恋愛の苦しみの中から「同性愛」を主たるテーマとして用いたにすぎません。
「同性愛」に苦悩した女性を描いた作品としても、より自分に近い状況に重なる作品としても楽しめることは、本楽曲特有の魅力であると言えるのではないでしょうか。
筆者の感想
back numberの楽曲を聴くたびに、本当にこのアーティストは人間の弱い部分というか、本心を表すことが上手だなあと感じます。
進みたいけど進めない、そんな気持ちを信号機で表す発想に脱帽です。
単なる「同性愛」をテーマにした楽曲というよりも、人によってさまざまにある恋愛の苦しみ。恋人がいる人を好きになってしまったとか、先生に恋をしたとか、人によっていろんな経験が考えられえます。
そして、そういった時に「いつか」と来るはずのない未来に逃げてしまう気持ちも、大変よくわかりますね。
そういった共感性の高さを持ちつつも、綺麗にまとめ上げられたストーリーとしても楽しめる本楽曲の考察は、非常に楽しかったです。
この記事の感想やご意見など、是非コメント欄までお待ちしております!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは(@^^)/~~~
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