【歌詞の意味】米津玄師「POP SONG」のここがすごい!「全部くだらねえ」に込められた意味

【歌詞の意味】米津玄師「POP SONG」のここがすごい!歌詞の意味

こんにちは!

今日は、米津玄師の「POP SONG」を徹底的に考察し、歌詞の意味を解説します!

「全部くだらねえ」という、世間に対する強烈なアンチテーゼ。

「だからこそ、自由に遊ぼうぜ!」という鮮烈なメッセージ。

複雑に作りこまれた歌詞構成や表現に、どんどん引き込まれていく。

そんな本楽曲の魅力に、歌詞分析の観点から迫っていきます!

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「ポップ」に対するアンチテーゼが歌われた楽曲

本楽曲はソニーの人気ゲームハード『プレイステーション』新CMのタイアップ曲として起用されています。

しかしながら、タイアップ曲とは思えない挑戦的な歌詞が本楽曲では展開されます。

もちろんそれが本楽曲の魅力なのですが、このように挑戦的な楽曲にゴーサインを出したソニーさん、流石です…

「ポップ」とは一般的に、「流行に乗っている様子」を指します。まさに、世の中の動きそのものともいえる言葉です。

「全部くだらねえ」と繰り返す歌詞には、ポップ=世の中に対するアンチテーゼ(意味:否定命題の主張)が込められています。

パンチの効いた歌詞とリズミカルな韻の数々は、聴く人を魅了します。

では、それぞれの歌詞にはどのような意味が込められているのか、【歌詞の意味】で見ていきましょう!

歌詞の意味

1番

ちゃらけた愛を歌ってるベイビー
煌めいてシックなメロディ
誰も見当たらない夜がまたひとつ
頭空っぽチープなハーモニー
誰だって愛されたいのに
いらないことばかり 口をつく始末

米津玄師「POP SONG」-作成:米津玄師
楽譜のイメージ画像

ここでは、世の楽曲(おそらく、ポップソング)についての皮肉が歌われています。

“ちゃらけた愛を歌ってるベイビー
煌めいてシックなメロディ

誰も見当たらない夜がまたひとつ”

ここで描かれる情景は、誰か音楽を奏でている人がいて、それを主人公が聴いている、というものだと考えられます。

何となく、夜の駅前で弾き語りをしている女の子のイメージが近いのではないでしょうか。

そんな彼女が歌う、ちゃらけた=ふざけた愛の歌

シック=しゃれているメロディは、世の中で流行だからと何となく好かれているメロディに対しての皮肉でしょう。

しかし周りには、同じように感じている人は今日も見つけられません。

“頭空っぽチープなハーモニー
誰だって愛されたいのに
いらないことばかり 口をつく始末”

世間の人々は皆、自分では何も考えない、「何となく流行っている」安っぽいハーモニーを奏でています。

また、この楽曲では「自分が自由に表現すること」愛する」とたびたび表現しています。

本当は誰だって自分を表現したいのに、流行や人気に惑わされて、“いらないことばかり”歌っていると主人公は感じます。

どうしちゃったの皆そんな面で見んな
まともじゃないよあなた方
あ一喧々諤々さんざっぱら
雨に唄えば なんて晴れやかだ
さぞかし大層楽しかろ あーりんりんらんらん
あっぱっぱらぱー

米津玄師「POP SONG」-作成:米津玄師

ここでは、周りの目を気にしない主人公の様子が描かれています。

世の中の流行に批判的な主人公に対して、世間の人々は怪奇の目で見つめます。

“まともじゃないよあなた方
あ一喧々諤々さんざっぱら”

しかし、主人公からしてみれば“まともじゃない”のは世間の方です。

「喧々諤々」とは「様々な意見が口うるさく、やかましい」という意味です。

まともじゃない世間が自分に向ける声は、聴くに堪えないものなのです。

“雨に唄えば なんて晴れやかだ
さぞかし大層楽しかろ”

という歌詞に表現された「雨」とは、上の歌詞にあったような世の中とのギャップのことだと考えられます。

しかし、そんな中歌う歌こそ主人公にとっては至高。

世の流行に流されない主人公は、自由気ままに自分が表現したい歌詞、“あーりんりんらんらん あっぱっぱらぱー”と、世間には意味の分からないようなフレーズを歌います。

123 で愛を込めてもう一生遊ぼうぜ
準備してきたもの全てばら撒いて
そうさどうせ何もかも全部くだらねえ
君だけの歌歌ってくれ
それもまた全部くだらねえ

米津玄師「POP SONG」-作成:米津玄師

ここでは、自由に生きることを世の中に提案する主人公の姿が描かれています。

世の中の流行だとか、こうした方がよさそうだとか、そんなものはどうだっていい。

全部ほっぽり出して、自由に遊ぼうぜ!と主人公は言います。

“そうさどうせ何もかも全部くだらねえ
君だけの歌歌ってくれ
それもまた全部くだらねえ”

という歌詞では、何をしてもどうせくだらないという主人公の気持ちが表れています。

たとえ“君だけの歌”=自分が自由に楽しむことを表現したとしても、それすらもくだらないことだと主人公は言います。ここでいう「君」は最初に登場した「ベイビー」、ひいては楽曲を聴く我々のことでしょう。

一見世の中全てを全否定したような表現ですが、その裏には「全部どうせくだらないからこそ、自由に遊んでいこうぜ!」という主人公のメッセージが隠されていると考えられます。

2番

だらけた恋がしたいのさレイディ
モラリスト呆れるセオリー
嫌なことばかり 春が過ぎていく
猫足のバスタブでフライバイ
飛んじゃってお茶の子さいさい
唱える呪文は ビビデバビビデブー

米津玄師「POP SONG」-作成:米津玄師

ここでは、「ポップ」に満足して生きている人々の様子が描かれています。

“だらけた恋がしたいのさレイディ
モラリスト呆れるセオリー”

どこまでも無難でドラマシティズムのない、いわゆる「普通」の恋愛を求める世間の人々。恋愛という個性が表れるべきものに対しても、人々は「普通」を求めます。

まさに、モラリスト(仏:人間精神を探求する人)もあきれる世の中のセオリー=普通です。

自由を求めない人々は、嫌なことばかりでどんどん“春”=人生の楽しみを失っていきます。

これらの歌詞には、人間精神に反した「普通」を楽しむ人々の様子が描かれています。

“猫足のバスタブでフライバイ
飛んじゃってお茶の子さいさい
唱える呪文は ビビデバビビデブー”

一方で、人々はきらびやかな特別を求めます。

映画の女優よろしく、猫足バスタブで妄想世界にトリップ。

シンデレラみたく「ビビデバビビデブー」を唱え、変身した気になっています。

これらの歌詞には、特別であろうとするわりに、何かの模倣しか行わない人々の様子が描かれています。

普通を目指す時には人間精神から離れたり、特別であろうとする時には何かの模倣であったり。

主人公は「ポップ」を、このような矛盾しているものとしてとらえています。

2番以降

我がストーリー 愛の成す通り
生きてたい夢中に全てが遊びの様に
異常にくだらねえよ何もかも
君だけの歌歌ってくれ

米津玄師「POP SONG」-作成:米津玄師

ここでは、自由に生きようとする主人公の様子が描かれています。

“我がストーリー 愛の成す通り
生きてたい夢中に全てが遊びの様に”

どうせ全部くだらないのだから、自分は思うがままに生きていたい。

流行とか当たり前とかややこしいこと抜きで、楽しんで生きていたい。

そんな気持ちが表現されています。

どうかしてるどうかしてる
あいつもそいつもみんな変だ
ちょっとついていけない楽しめない
イカれてるエクスタシー
どうかしてるどうかしてる
全てが全部くだらねえんだ
君だけの歌歌ってくれ

米津玄師「POP SONG」-作成:米津玄師

ここでは、自由に生きない人々に対する主人公の気持ちが歌われています。

誰もかれも世の中の普通=「ポップ」に疑問を持ちません。

なぜ、自分の楽しいことをやらないのか、主人公には理解できません。

“イカれてるエクスタシー
どうかしてるどうかしてる
全てが全部くだらねえんだ”

ともすると、「ポップ」という名の薬物に快楽を覚えている世間の人々。

この世の全てはくだらないからこそ、「ポップ」におぼれる必要はないと主人公は警鐘を鳴らします。

素晴らしいほど馬鹿馬鹿しい
これぞ求めていた人生
君は誰だ教えてくれよ
どうせ何もないだろう?
喧しいこと甚だしい
これぞ価値のある人生
誰でもいいけど君がいいんだよ
愛を歌っておくれ
それもまた全部くだらねえ

米津玄師「POP SONG」-作成:米津玄師

ここでは、主人公が私たちを自由の世界に誘います。

自由な楽しみを求める、“素晴らしいほど馬鹿馬鹿しい”人生。

主人公の望みの全てがここにあります。

“君は誰だ教えてくれよ
どうせ何もないだろう?”

「ポップ」に染まらない、本当の君はどんな姿なのか?「君」の中身を見ても、どうせ何もありません。

“誰でもいいけど君がいいんだよ
愛を歌っておくれ”

という歌詞には、そんな何もない「君」にも、「自由に遊ぶ」ということを知って欲しい。本当の自分を手に入れて欲しいという気持ちが歌われています。

そして、お決まり文句“全部くだらねえ”。ここまで歌ってきたことすらもくだらないことだと言い、本楽曲は終了です。

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考察

「ポップ」ってなに?

カラフルなギター

最初にも紹介したとおり、「ポップ」は「流行に乗っている様子」という意味です。

しかし、何を持ってポップというのかは、定義が難しいものでもあります。

当ブログでも「JPOP歌詞の考察」を行っていますが、「JPOPってなによ?」って話です。

結局のところ、多くの人々が何となくで理解している、曖昧な共通認識。これこそが、「ポップ」の正体ではないでしょうか。

「普通」とか「あたりまえ」、いろんな要素を何となくでまとめた世の中の流行、「ポップ」。

この楽曲が描いたのは、そんな「ポップ」に対する強烈なアンチテーゼなのではないでしょうか。

そのように考えると、「POP SONG」というタイトルも、皮肉が効いていますね。

何がポップだ、何をもって「POP SONG」なんだと。ふわりとした我々の認識に問いかける、米津のメッセージが込められているように感じます。

この楽曲のメッセージ

この楽曲のメッセージは、「ポップ」に従ってはいけない!などという簡単なものではないように思います。

本楽曲では、この世は「全部くだらねえ」と表現されていました。

この言葉に、例外はありません。流行に従うことも、逆に逆らうことも、どちらもくだらないことなのです。

本楽曲で示したいのは、「どうせ全部くだらないのなら、自由楽しんだ方が良いじゃん!」というメッセージなのではないでしょうか。

なぜかみんなが信じて疑わない「ポップ」という存在。どうせ全部くだらないのなら、そんなものに縛られなくてもいいのではないか?

この楽曲に描かれたのは、「自由に遊ぶことに対する肯定」だったのではないでしょうか。

余談になりますが、このように考えるとソニーさんが『プレイステーション』のタイアップとして本楽曲を起用したのも、納得いきますね。

まさに、自由に遊ぶを象徴するようなゲームという存在に、本楽曲はぴったりだと感じました。

筆者の感想

米津玄師の歌詞は深いところにまで意味が張り巡らされていて、考察していてすごく楽しかったです。(その分、大変でしたが…笑)

作詞者本人や、聴く人によっては解釈の異なる部分も多いと思います。

しかし、それこそが歌詞考察の醍醐味!

いろんな意見の中で、自分の解釈を見つけ出す。

10人いれば10通りの楽しみ方ができる、そんな楽曲だったと思います。

この記事の感想やご意見など、是非コメント欄までお待ちしております!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは(@^^)/~~~

 

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