こんにちは!
今日は、優里の「シャッター」を徹底考察し、歌詞の意味を解説します!
繊細な恋心を、カメラのシャッターに例えて表現した本楽曲。
心情の変化を巧みにとらえた本楽曲には、優里の魅力がたっぷり詰まっています!
サビの「シャッターが落ちる」「シャッターを切る」、2つの表現の違いと、隠された意味とは?
本楽曲の魅力に、歌詞分析の観点から迫っていきます!
優里初のセルフカバー曲
本楽曲は、2021年7月7日にデジタルリリースされた、優里初となるセルフカバー楽曲です。
「シャッター」はYouTubeチャンネル『優里チャンネル【公式】』の企画で、同チャンネルのカメラマンである「JUN MIYASAKA」のために書き下ろされました。
後に、優里初のワンマンツアー「優里TOUR2021~御伽噺のようなハッピーエンドへ向かって~」でセルフカバーを披露すると、ファンから音源化の依頼が殺到。デジタルリリースへと運んだようです。
歌詞の意味
1番
君と見るはずだった花火が
優里「シャッター」-作成:優里
夜の隙間を埋めてく
感傷にひたっちまうから
Twitter は閉じた
棚の上に置いたカメラも
今距離を置きたいくらい
僕は今日全て失って
一日中泣いていた

ここでは、「君」と別れた後の「僕」の様子が描かれています。
“僕は今日全て失って 一日中泣いていた”という歌詞から予測するに、「僕」は振られた側なのでしょう。
“君と見るはずだった花火が
夜の隙間を埋めてく“
物語は、「君」とみるはずだった花火を、「僕」が一人で見上げているところから始まります。
一瞬で消えていくという花火の刹那な魅力が、聴き手を切ない気持ちにさせます。
Twitterを見ていると、そこには君との思い出が詰まっています。見ていられなくなった「僕」は、そっとTwitterを閉じました。
“棚の上に置いたカメラも
今距離を置きたいくらい”
ここで登場する「カメラ」は「君」と別れた大きな要因であり、先ほど登場した花火と対照的な存在として描かれています。
写真はずっと残りますが、花火は一瞬で消えてしまいます。
「カメラ」にこだわってきた「僕」が、対照的な花火を見ることによって「君」の大切さに気が付くとは、何とも皮肉なものです。
本当の気持ちは
優里「シャッター」-作成:優里
やっぱりわからないけど
君のアルバムに居る僕を
全部消したんでしょう
ここでは、「僕」の悲しみが表現されています。
“本当の気持ちは
やっぱりわからないけど“
という歌詞からわかるように、「君」が本当は何を考えているのか、「僕」にはわかりません。
同時に、「僕」は「君」に振られるまで、何も気づいてなかったということも予想できます。
「君」を失ってはじめて、自分の行動の何がいけなかったのか、「僕」は考えたのです。
”君のアルバムに居る僕を
全部消したんでしょう”
「君」の本当の気持ちはわかりませんが、一つだけわかる残酷な事実。
「君」の心のアルバムの中には、もう「僕」という存在はありません。
これらの歌詞から、「もう元には戻れない」という「僕」の悲しみが伝わってきます。
シャッターが落ちるみたいに
優里「シャッター」-作成:優里
君を切り取って恋に落ちて
心のアルバムに全部
そっとため込んでた
だからさ だからさ
仕草も匂いも覚えている
シャッターを切る時間も
君に触れていれば良かった
全ての時間を君だけに使えばよかった
ここでは、「君」への想いとシャッターの関係について歌われています。
“シャッターが落ちるみたいに
君を切り取って恋に落ちて“
ここで登場するシャッターは、心の中のカメラにあるものです。「君」のあらゆる姿を切り取って、心のアルバムにしまってきた「僕」。
心のカメラで撮った写真は普通の写真と違って、“仕草も匂いも”記録することができます。
またここでのシャッターは「落ちる」という言葉が使われており、自発的にではなく、自然と写真を撮るものとして表現されています。
“シャッターを切る時間も
君に触れていれば良かった“
一方ここでは、シャッターは「切る」という言葉が使われています。
「切る」は自分から行う、自発的な言葉です。このことからも、この歌詞で歌われているシャッターは、実際のカメラのシャッターであると考えられます。
そして「僕」は、カメラを使っていた時間も、君だけに使えばよかったと思います。
これらの歌詞からは、写真なんて取らなくてよかった、心のアルバムだけでよかったという「僕」の後悔の気持ちが伝わってきます。
2番
お決まりのデートコースと
優里「シャッター」-作成:優里
お決まりの愛の言葉
見栄えの良いものばかりが
インスタに残った
棚の上に置いたカメラじゃ
映せないものが
君と僕の間にあって
それに気づけなかった

ここでは、カメラにこだわってきた「僕」の後悔の気持ちが歌われています。
“お決まりのデートコースと
お決まりの愛の言葉“
という歌詞からは、「僕」は決まりきったことばかりを「君」としてきて、そのたびに写真を撮ってきたことがわかります。
それは見栄えがいいばかりで、インスタに残った写真には、映像以外の情報は写っていません。
“棚の上に置いたカメラじゃ
映せないものが“
という歌詞からもわかるように、「お互いが一緒にいる時間の楽しさや大切さ」は、写真には写りません。
そして「僕」は、今この瞬間にいたるまで、それに気づけなかったのです。
今でも気持ちは
優里「シャッター」-作成:優里
やっぱりわからないけど
君のアルバムに居る僕は全部
いらないんでしょう
ここでは、1番での歌詞と同じような、「僕」の悲しみが表現されています。
“今でも気持ちは
やっぱりわからないけど“
これまで写真のような見栄えのいいものにこだわってきた「僕」には、今になっても「君」の気持ちはわかりません。
ここでも見えてくる確かな事実は、「君にとって僕は必要ない」という悲しいものなのです。
シャッターが落ちるみたいに
優里「シャッター」-作成:優里
君を切り取って恋に落ちて
壊したくなくて無難に
きっとやり過ごしてた
だからさ だからさ
映りの悪い僕だったろう
シャッターを切る時間も
君に触れていれば良かった
全ての時間を君だけに使えばよかった
ここでは、「僕」が「君」にどのように接してきたか、その結果どういうことが起こったのかが歌われています。
“壊したくなくて無難に
きっとやり過ごしてた“
写真を撮ることをはじめとして、「僕」は「君」との関係を壊したくないあまり、無難なことばかりをしてきました。
もしかすると、「君」を失わないためにどうすればいいのかわからなかった「僕」が思いついた無難な方法こそが、「写真を撮ること」だったのかもしれません。
そして、そんな「僕」は「君」にとって“映りの悪い”存在でした。
いくらきれいな写真を残そうとも、「君」にとってそれは必要のないものだったのです。
2番以降
どんなに締麗で美しい
優里「シャッター」-作成:優里
宝石みたいな思い出も
そこに僕が居なきゃ 君が居なきゃ
何の意味もないのに
ここでは、写真を撮ってきたことに対する後悔の気持ちが歌われています。
これまでにとってきた写真であろうと、それ以上にきれいな思い出であろうと、そこに自分たちがいないと意味がないと「僕」は感じます。
これまでたくさん残してきた写真ですが、「君」を失った今、そこには何の価値もありません。
シャッターが落ちるみたいに
優里「シャッター」-作成:優里
君を切り取って恋に落ちて
壊したくなくて無難に
きっとやり過ごしてた
だからさ だからさ
映りの悪い僕だったろう
シャッターを切る時間も
君に触れていれば良かった
シャッターが落ちるみたいに
君を切り取って恋に落ちて
心のアルバムに全部
そっとため込んでた
だからさ だからさ
仕草も匂いも覚えている
シャッターを切る時間も
君に触れていれば良かった
全ての時間を君だけに使えばよかった
同じ内容の解説になるので、省略します!
考察
心のシャッターとカメラのシャッター

本楽曲のサビには、2つのシャッターが登場しました。「歌詞の意味」でも解説しましたが、ここではより詳しく考察します。
「心のシャッター」は、「落ちる」と表現されます。自分で「ここで写真を撮ろう」と決めるのではなく、ふとした時に心に残る思い出を映すもの、それが「心のシャッター」です。
それは、Twitterやインスタに乗せるような、きらびやかな写真とは違います。ふとした時に君が見せた表情やしぐさ。
極めて普通な日常の中にも、「心のシャッター」が落ちるタイミングはたくさんあります。
そして、それこそが2人にとって、本当に大切な思い出のはずでした。たとえ写真には残らなくても、「心のアルバム」にある写真をもっと増やさなければなりませんでした。
しかし、「僕」は「カメラのシャッター」、つまり本物の写真を優先してしまいました。「カメラのシャッター」は「切る」と表現され、「ここで写真を撮ろう」と僕自身が決めるものです。
その結果、確かに見栄えのいい写真はたくさん残りました。
しかし、その分「心のアルバム」に残る写真は少なくなってしまいました。カメラの写真では、日常の幸せや、その時のにおいや音、「君」のしぐさなどを残すことができません。
2つのシャッターの対比によって、本楽曲の切ないストーリーが作り上げられたのです。
見た目より中身を大切に
この楽曲のメッセージは、「見た目よりも中身を大切に」というものなのではないかと考えられます。
楽曲中では、見た目=「カメラ(写真)」、中身=「心のアルバム」と表現されていました。
「君」を失いたくない「僕」は、無難な行動ばかりをとってしまいました。確かに、見た目は誰から見てもわかりやすく、一見無難に見えます。
彼女とどう過ごしてきたか自分で確認する時にも、友達に自慢する時にも、写真は非常に便利です。
しかし、本楽曲で歌われたように、本当に大切なのは中身です。たとえ目には見えなくても、他の人には伝わらなくても、自分や相手の心の中でのみ見える思い出。
それこそが、人と人とのつながりの中で、大切なことなのではないでしょうか。
本楽曲には、このようなメッセージが込められていると考えられます
現代的な恋愛の形を表した楽曲
本楽曲には「Twitter」「インスタ」と、現代的な恋愛の形をよく表したSNSツールが歌詞に使われていました。
多くのカップルが、行く先々で写真を撮り、Twitterやインスタに写真をアップしています。
これがだめだ、というわけではもちろんありません。しかし、手段と目的が逆転してしまったら、これは良くないと思います。
思い出を残すために写真を撮るのか、写真を撮るために思い出を作りに行くのか。
楽曲内の「君」は、こういったところを不満に思い、別れを切り出したのではないでしょうか。
これは、恋愛に限った話ではありません。大切な家族や友人と過ごす時間、それは必ずしも写真ですべてを残すことはできません。
写真で写せるものと映せないもの(楽曲歌詞に合わせて、あえてこの表記にします)、それぞれについて今一度、考える必要があるような気がします。
筆者の感想
今回も、非常に読み応えのある歌詞でした。
優里の歌詞って、表現自体はわかりやすいのに、そこに込められた意味が深くて毎回感心させられます。
「落ちる」「切る」もはじめは何となくで聞いていましたが、歌詞を深読みしていくと初めて意図がわかります。
だから、わざわざ違う言葉にしたのかと。
個人的には、「花火」と「カメラ」の対比も好きです。出てくる言葉一つ一つに、ちゃんと意味がある。
だからこそ、ここまで繊細な感情の変化を、1曲の中で描けるのだなと感じました。
この記事の感想やご意見など、是非コメント欄までお待ちしております!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは(@^^)/~~~
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