【歌詞の意味】ずっと真夜中でいいのに。「袖のキルト」のここがすごい!映画『HOMESTAY』を踏まえた巧みな表現

【歌詞の意味】ずっと真夜中でいいのに。「袖のキルト」のここがすごい!歌詞の意味

こんにちは!

今日は、ずっと真夜中でいいのに。の「袖のキルト」を徹底的に考察し、歌詞の意味を解説します!

Amazonオリジナル映画『HOME STAYホームステイの主題歌である本楽曲。

映画にちなんだ表現と、歌詞に込められた感情のマッチが魅力の楽曲になっています。

そんな本楽曲の魅力に、歌詞分析の観点から迫っていきます!

注意!

※本楽曲の考察では、映画『HOME STAY ホームステイ』及び原作小説である森絵都の『カラフル』のネタバレを含みます。
物語の結末についても触れるため、ネタバレが嫌いな方は映画を視聴した後に本記事を読むか、ブラウザバックをおススメします。

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映画『HOMESTAY』の主題歌

歌詞分析に入る前に、本楽曲を主題歌とする映画『HOME STAY ホームステイ』のあらすじをご紹介します!

映画『HOME STAY ホームステイ』あらすじ

死んで生前の記憶を失った魂である「シロ」は、病院で「小林真」の姿で目覚めた。

「管理人」と名乗る人物からは、「高校生である小林真の死んだ原因を100日以内に突き止めれば、輪廻転生させてやる」と告げられます。

前世でのある過ちにより、輪廻転生の輪から外れてしまったというシロ。

シロは真の死を解明すべく、真を演じながら=ホームステイしながら学校生活を送ることになる。

シロの運命、真の死の真相とは?

※ここから本格的にネタバレです。

シロは真として生きていく中で、真の死の真相に気が付いていきます。

それは、真は自殺であったということ。

信頼していた先輩「美月」の裏切りとも取れる行為、家族仲は悪く、母「早苗」にいたっては不倫をしており、この世に絶望した真は自殺の道を選んだのです。

だんだんと真に感情移入していったシロは、落ち込んでしまいます。

しかし、そんな中寄り添ってくれた幼馴染の「昌」

さらに、家に帰らない自分を迎えに来た母が事故にあって意識不明に陥った時に、父は涙を流します。

美月は実はレズビアンで、思い悩んでいました。

自分が感じてきた世界と、実際の世界はだいぶ違っていたことにシロは気が付きます。

そして、シロ自身の生前の過ち。それは、真の命を奪ったこと。

シロは、生前の真自身だったのです。

ホームステイを通して「自分は周りに愛されている」と感じたシロ=真は、力強く生きていくことを決めます。

ホームステイを通して気が付いた本当の世界は、思ったよりも悪くないものでした。

本楽曲にも、映画を踏襲した表現が盛り込まれています。

それでは前置きが長くなりましたが、歌詞の意味を見ていきましょう!

歌詞の意味

1番

全部 逃げ出しちゃってもいいけど
今日も机で おでこ冷ましてる
手提げ袋の中の 遺伝子と
折れ曲がった漫画、僕のだ
勝手に一人 担ったし
隠れ敬語が 日課になったし
気が合うと思ってた 今日でも
気まずくなるんだな

ずっと真夜中でいいのに。「袖のキルト」-作成:ACAね

教室の机

ここでは、「僕(シロ)」が「真」を演じることに対する疲れを感じていることが表現されています。

逃げ出したくなるほど疲弊する毎日。それもそのはずです、記憶のない他人を演じることは相当疲れるでしょう。

教室で一人、思い悩む「僕」の姿が目に浮かびます。

“手提げ袋の中の 遺伝子と
折れ曲がった漫画、僕のだ“

確かに自分の持ち物なのに、いまいち実感の湧かない「僕」。手提げの中に広がる世界は、自分にとって見覚えのないものでした。

真を演じるという「僕」の苦労が表現された歌詞です。

“勝手に一人 担ったし
隠れ敬語が 日課になったし“

そんな中、だんだん「僕」は孤独を感じていきます。

どんな間柄かもわからない人物に対して、とりあえず敬語を使ってしまう=“隠れ敬語”を繰り返してしまいます。

毎日をうまく過ごせず、「僕」はある種の気まずさを感じていくことになります。

具体的になると 話せない 積み重ならない
石碑みたいに 突っ立ってたけど 予測癖みたい
ただ続けたかっただけなのに
鼻歌じゃなくても

ずっと真夜中でいいのに。「袖のキルト」-作成:ACAね

ここでは、うまく話せない「僕」の姿が描かれています。

“具体的になると 話せない 積み重ならない
石碑みたいに 突っ立ってたけど
予測癖みたい”

具体的な込み入った話になると、何も話せない「僕」。会話は続かず、立ち尽くすことしかできません。

予測しながら話してしまうことに、「僕」はうんざりしてしまいます。

うろ覚えの楽曲で歌う”鼻歌”にもならないような会話。それでも、「僕」は会話を続けたいと感じます。

袖に触れる 瞬間の声
君が靡く 僕は願う
今はまだ このままで
不揃いのサビ 繋ぐ花火
言いたい言葉 走って
叫びたい気持ちを 恥じらって
歌うのは 僕のキルト

ずっと真夜中でいいのに。「袖のキルト」-作成:ACAね

ここでは、真を演じる「僕」の姿が表現されています。

“袖に触れる 瞬間の声
君が靡く 僕は願う”

「君」はのことを指すと考えられます。真にホームステイしていることを、「着る」=袖を通すと表現しています。

真を着る時に袖に触れた瞬間、“靡く”と表現されるように、微かではあるものの「君」の優しさを感じることができます。

“不揃いのサビ 繋ぐ花火”

今はまだ、重要な痕跡は不揃いにしかそろいません。

“花火”という表現は、映画で登場するキーアイテムである「花火の絵」や昌が誘った花火大会」などにちなんだ表現です。

特に「花火の絵」は、シロが描いた花火と真が死ぬ前に描いた花火が全く一緒だと気が付く場面で、シロが自分が真であることに気が付く重要なシーンのアイテムになっています。

“歌うのは 僕のキルト”

「キルト」は様々な布を縫い合わせたもの、手法のことです。

言いたいことも叫びもとぎれとぎれな「僕」の言葉は、まるで「継ぎ接ぎ」のような存在です。

また、映画に現れたように、「僕」の周りの世界はいろんな要素を繋ぎ合わせてみてみると、思ったより悪くないものでした。

「キルト」はこのような、いろんな要素が重なって世界が出来上がることや、言葉の継ぎ接ぎといったものを表現した言葉であると考えられます。

2番

継ぎ接ぎなメモ くだらない話を
茶化しながら 見つめあいながら
橙色の放課後 図書室のストーブ音=
だいじょばない日の 待ち合わせ場所

ずっと真夜中でいいのに。「袖のキルト」-作成:ACAね
学校の教室

ここでは、少しづつこの世界に居場所を見つけていく「僕」の様子が描かれています。

“継ぎ接ぎなメモ くだらない話を
茶化しながら 見つめあいながら”

相変わらず断片的な会話しかできませんが、少しづつ会話に笑顔が見えてきます。

落ち込んでしまった時には、放課後の図書室で待ち合わせるようなこともできるようになりました。

ここで描かれる歌詞は、「僕」が真になってから少し時間のたった場面であると分かります。

先に素直になれる君の 貫く君の
後ろ姿を 探したけれど 伝う花びら
ただ眩しくなっただけなのに
憧れに似た

ずっと真夜中でいいのに。「袖のキルト」-作成:ACAね

ここでは、昌が花火大会に誘った映画のシーンを踏まえた歌詞になっています。

“先に素直になれる君の 貫く君の
後ろ姿を 探したけれど 伝う花びら“

「僕」よりまっすぐで筋が通っている「君」。

映画では、昌が誘ってくれた花火大会を、シロは冷たく対応してしまいます。

撃ちあがる花火に「君」の姿を探すけれど、そこには“花びら”=花火しかありません。

”眩しくなった”という歌詞も、花火にちなんだ表現になっています。

ここでは、映画でしてしまったことに対する後悔のような気持ちがここでは描かれています。

袖に触れる 瞬間の声
君が靡く 僕は願う
今はまだ このままで
不揃いの錆 繋ぐ花火
言いたい言葉 走って
叫びたい気持ちを 恥じらって
歌うのは 僕のキルト

ずっと真夜中でいいのに。「袖のキルト」-作成:ACAね

大まかな内容は1番サビと同じです。

ここでは、1番で「サビ」と表現されていたところが「錆」となっています。

1番では「重要なところは不揃いである」といった表現、2番では「自分は不揃いで錆のように劣っている」といった表現で使い分けられています。

2番以降

幾何学模様を 辿って歩く
同じ所で たどり着いた
余った袖を 引き止めてる
君といる今日が ずっと
奇跡みたいで 叫んだ

ずっと真夜中でいいのに。「袖のキルト」-作成:ACAね

ここでは、記憶を取り戻していく「僕」の様子が表現されています。

映画だと、シロの描いた花火の絵が、真の描いた花火の絵と同じであることに気が付くシーンでしょうか。

“幾何学模様を 辿って歩く
同じ所で たどり着いた”

映画では、マスゲームによって表現された花火の絵のことを、“幾何学模様”と表現しています。

そして、同じ花火を描いたことで、「僕」は自分が何者であるのかという答えにたどり着きます。

“余った袖を 引き止めてる
君といる今日が ずっと”

真を着る時にどうしても余る袖に例えられた、心の隙間のようなもの、

身体に合わない袖を引き留めたのが、「君」と過ごした毎日です。

これらの歌詞には、「僕」にとって「君」が大切な存在であることが描かれています。

忘れたくない 一瞬の声
君が靡く 僕は願う
今はまだ このままで
不揃いのサビ 繋ぐ花火
言いたい言葉 走って
叫びたい気持ちを 恥じらって
思い出せる 僕を着ると

ずっと真夜中でいいのに。「袖のキルト」-作成:ACAね

大まかな部分は他のサビと一緒です。

「君」がかけてくれる一瞬の声を、「僕」は大事にしたいと感じています。

“思い出せる 僕を着ると”

自分自身にホームステイすることで、大切な者に気が付けた「僕」。

「僕」を着ることで、「僕」自身という存在を思い出して、本楽曲は終了です。

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考察

自分を着ることで思い出す大切なもの

衣類と筆記用具

本楽曲では、自分自身を演じる=着ることで、大切なものに気が付いていく「僕」の様子が描かれていました。

楽曲と映画、共通して「誰かの身体にホームステイする」という一種のファンタジー要素が入っていましたが、実は「自分を着る」というのはすべての人間に当てはまるのかもしれません。

“人生は長めのホームステイ”

「管理人」の言葉です。なかなかに哲学的ですが、的を射ているように思います。

人は、友人関係や仕事関係で、外から見える自分の姿をとり作ったりします。

表面上見える人の姿は、まさに誰かから住む場所を借りているようなものです。誰もが他人に見える用の姿を持っていて、中身の本質を胸の内に秘めています。

そして、時には人の中身に気が付けなかったり、自分自身の中身を見失ってしまうことがあります。映画の主人公シロがまさにそうでした。

そんな時に、自分を改めて演じること=着ることで、大切なことを思い出せるのかもしれません。

まさに、自分を見つめなおすという行為。

映画や楽曲で描かれていた「ホームステイ」は、案外現実的で、身近な試みなのかもしれません。

映画を踏まえることと楽曲のバランス

映画でメインとなる「ホームステイ」というシステムを、本楽曲では「着る」と表現していました。

この言いかえが何ともおしゃれで、楽曲としての深みを持たせています。

本楽曲は映画の内容をよく踏まえていて、結末に至るまで表現されていました。

物語を楽曲にするときには、常に楽曲と原作のバランス問題が付きまといます。

原作の内容により過ぎても原作を知らない人に伝わらないし、楽曲としてのバランスが崩れます。

本楽曲は、「着る」という言い換えや、原作に出てくる花火などのアイテムをさりげなく織り交ぜることで、完ぺきなバランスを作り上げていました。

曲として完成度が高く、映画を見終わった後に聞くと、「そういうことか!」という気づきがある。

上の考察で書いたような「自分を着る」という行為の現実性も相まって、1つで2度楽しめるような楽曲になっていました。

興味が湧いた方は、ぜひ映画と合わせて楽曲を楽しんでもらえればと思います。

筆者の感想

物語を楽曲に反映させるのってホント難しそうです。(やったことはない)

考察でも書いたように、バランスが難しい。

映画から入っても楽曲から入っても楽しめる構成力は、流石の一言です。

ずとまよ特有の奥ゆかしい表現も盛り込まれていて、歌詞分析もはかどりました。

この記事の感想やご意見など、是非コメント欄までお待ちしております!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは(@^^)/~~~

 

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