こんにちは!
今日は、優里の「ドライフラワー」を徹底的に考察し、歌詞の意味を解説します!
誰にとっても辛い、恋人との別れ。
たとえ振った側であっても、様々な寂しさ、後悔が心に残るものです。
本楽曲で描かれるのは、そんな「振った側」のお話。
切ない男女の別れを描いた、本楽曲の魅力に迫ります!
「かくれんぼ」のアフターストーリー
男女の別れが描かれた本楽曲ですが、優里の代表曲である『かくれんぼ』のアフターストーリーとなっていたことはご存じでしょうか?
『かくれんぼ』では、男女の別れについて男性目線で描かれていましたが、本楽曲は女性目線で描かれています。
女性目線から描かれる恋人との別れと、未練の感情。切ない気持ちが存分に表現された本楽曲を、歌詞分析の観点から読み解いていきます!
ドライフラワーの花言葉

本楽曲のタイトルでもあるドライフラワーですが、筆者が注目したのは「終わりのない愛情」という花言葉です。(日本では花言葉はありませんが、イギリスやフランスの花言葉です。)
恋人と別れた女性の未練の気持ちが歌われた本楽曲ですが、「終わりのない愛情」とはまさに、女性の未練の気持ちが表現された花言葉であると言えます。
付き合っていて別れた経験のある人なら、こんな未練の感情を抱いたことが一度はあるのではないでしょうか。
今がどんな関係性であれ、付き合っていた頃に「好きだった」という気持ちは、いつまでも変わることのない事実です。
女性目線で歌われた本楽曲ですが、この未練の気持ちは性別関係なく理解できる感情です。
だからこそ本楽曲は、切なく悲しい失恋の時の感情が、聴き手にひしひしと伝わるのではないでしょうか。
この、「未練の気持ち」に注目しながら、歌詞分析を進めたいと思います!
歌詞の意味
1番
多分、私じゃなくていいね
優里「ドライフラワー」-作成:優里
余裕のない二人だったし
気付けば喧嘩ばかりしてさ ごめんね
ずっと話そうと思ってた
きっと私たち合わないね
二人きりしかいない部屋でさ
貴方ばかり話していたよね

ここでは、二人が別れるに至った理由が描かれています。
相手のことを思いやる余裕のなかった二人は、いつも喧嘩ばかりでした。
そんな日々の中、薄々感じてきたこと。それが、”私たち合わない”という事実です。
”二人きりしかいない部屋でさ
貴方ばかり話していたよね”
という歌詞には、二人の性格の不一致が見て取れます。
お互い好きで付き合ったのに、どうしても合わないところがあった。
これ以上一緒にいることは無理だと感じた私は限界を感じ、別れるに至ったのでしょう。
もしいつか何処かで会えたら
優里「ドライフラワー」-作成:優里
今日の事を笑ってくれるかな
理由もちゃんと話せないけど
貴方が眠った後に泣くのは嫌
ここでは、別れた後の「私」の感情が描かれています。
”もしいつか何処かで会えたら
今日の事を笑ってくれるかな”
この歌詞から、別れという出来事がまさに今日起こったことを表しています。
別れというのは、お互いにとって寂しいものです。
いつか出会えた時に「笑っていてほしい」という気持ちは、現在「私」の中に溢れている悲しみの気持ちと対照的になっています。
この悲しみは、いつか時間が解決していくのかもしれません。
むしろ、そうなってほしいと切に願う気持ちが、ここでは描かれています。
”理由もちゃんと話せないけど”
別れるに至った理由も、うまくまとまって話すことはできません。
先の歌詞では理由が描かれていましたが、はたして本当に別れるしかなかったのか。
未練の気持ちがあるからこそ、こんなことを考えてしまうのかもしれません。
それでも、「私」は別れることを選んだのです。”貴方が眠った後に泣くのは嫌”は、「私」にそう選択させた大きな理由として描かれています。
声も顔も不器用なとこも
優里「ドライフラワー」-作成:優里
全部全部 嫌いじゃないの
ドライフラワーみたい
君との日々も
きっときっときっときっと
色褪せる
ここでは、「私」の本音が描かれています。
”声も顔も不器用なとこも
全部全部 嫌いじゃないの”
彼の全てを嫌いだったわけではありません。
「私」は確かに、「貴方」のことを愛していました。少し不器用なところすらも、愛おしく感じていた。
そんな愛おしさを上回った”私たち合わない”という事実が、「私」に突き刺さります。
”ドライフラワーみたい
君との日々も”
「貴方」と過ごしてきた、幸せな毎日。そんな日々も今、終わりを迎えました。
ドライフラワーがゆっくり時間をかけて色褪せていくように、「貴方」との日々も少しずつ色褪せていくのです。
後述しますが、本楽曲中で「ドライフラワー」には2つ注目されている性質があります。
ここでは、ドライフラワーの「色褪せる」という性質に焦点が向けられていることがわかります。
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2番
多分、君じゃなくてよかった
優里「ドライフラワー」-作成:優里
もう泣かされることもないし
「私ばかり」なんて言葉もなくなった
あんなに悲しい別れでも
時間がたてば忘れてく
新しい人と並ぶ君は
ちゃんとうまくやれているのかな

1番では別れたその日のことが描かれていましたが、2番では別れてから少し時間のたった日のことが歌われています。
”多分、君じゃなくてよかった
もう泣かされることもないし
「私ばかり」なんて言葉もなくなった”
ここでは、別れたことを自分の中で正当化する「私」の姿が描かれています。
本音では、未練の気持ちがある「私」。後悔の念を払いのけるように、「別れて正解だった」と自分に言い聞かせているのです。
”あんなに悲しい別れでも
時間がたてば忘れてく”
「きっと、時間がたてばこの悲しみも薄れていく」と自分に言い聞かせている「私」。
悲しみを何とか乗り越えようとする様子が、何とも切ないです。
そして、この悲しみはきっと「君」も同じように感じているでしょう。
「私」は”新しい人と並ぶ君”を想像し、「君」の哀しみも早く無くなって欲しいと感じます。
もう顔も見たくないからさ
優里「ドライフラワー」-作成:優里
変に連絡してこないでほしい
都合がいいのは変わってないんだね
でも無視できずにまた少し返事
ここでは、なかなか「君」を忘れることができない「私」の気持ちが描かれています。
”もう顔も見たくないからさ
変に連絡してこないでほしい”
別れた後にも、時折連絡をよこしてくる「君」。
顔も見たくないのは、相手のことを心底嫌っているからではなく、顔を見ることで「好き」という気持ちを思い出してしまうからではないでしょうか。
相変わらず都合がいい「貴方」に少しあきれる「私」ですが、つい返事を送ってしまいます。
ここからも、「私」の未練の気持ちが見てとれます。
声も顔も不器用なとこも
優里「ドライフラワー」-作成:優里
多分今も 嫌いじゃないの
ドライフラワーみたく
時間が経てば
きっときっときっときっと
色褪せる
ここも1番と同じく、「私」の未練の気持ちが描かれています。
2番では、「私」が別れて時間が経った今も「貴方」のことを嫌いではないことに気が付きます。
だからこそ辛く、早く忘れたいと「私」は思います。
”ドライフラワーみたく 時間が経てば”
という歌詞からは、早く忘れたい、時間が解決していってほしいと願う「私」の姿を見ることができます。
2番以降
月明かりに魔物が揺れる
優里「ドライフラワー」-作成:優里
きっと私もどうかしている
暗闇に色彩が浮かぶ
赤黄藍色が胸の奥
ずっと貴方の名前を呼ぶ
好きという気持ち
また香る
ここでは、「好き」という気持ちが再び現れてしまいそうな「私」の姿が描かれています。
”魔物”とは、「貴方のことを好きと思う気持ち」のことを指します。
月明かりの夜ひとりで歩いていると、ふと一緒に歩いていた日のことを思い出してしまうのでしょう。
いまだに、「貴方」のことが頭から離れません。
”赤黄藍色が胸の奥
ずっと貴方の名前を呼ぶ”
「赤黄藍色」に表現される、様々な感情。
ここの歌詞は「私」が夜に一人で歩いている場面ですから、これらの色は「信号機」を指しているのかもしれません。
赤の止まれ、青の進め。まるで信号機のように揺れ動く「私」の感情を表した心象表現であると考えられます。
そして、心の中ではずっと貴方の名前を呼んでいます。いまだに「貴方」のことを忘れることができません。
これらの歌詞には、このようなふとした時に「好き」という気持ちを思い出してしまう、「私」の未練が描かれています。
声も顔も不器用なとこも
優里「ドライフラワー」-作成:優里
全部全部大嫌いだよ
まだ枯れない花を
君に添えてさ
ずっとずっとずっとずっと
抱えてよ
前半部分は、自分自身に「もう好きじゃない」と言い聞かせている様子が表現されています。
先の歌詞からもわかるとおり、「私」はまだ「貴方」のことを嫌いになれていません。
”全部全部大嫌いだよ”
本音では嫌いじゃなくても、「大嫌い」と思いこまないと「貴方の」ことを思い出してしまい、胸が苦しくなるのです。
「大嫌い」とつぶやきながら、涙を流す「私」の姿が目に浮かぶようです。
後半の部分からは、この思いがこれからも長く残っていくことが表現されています。
”まだ枯れない花を
君に添えてさ”
ここでの花は、ドライフラワーを指していると考えられます。
2番までの歌詞ではドライフラワーの「色あせていく」ことに焦点が用いられていましたが、この部分の歌詞では「枯れないこと」に焦点が当てられています。
確かに色あせていくドライフラワー。しかし、決して枯れることはないのです。
すでに死んでいるがゆえに、ずっと残り続けるドライフラワーという存在。
「私」の気持ちもまた、ずっと消えることなく心に残り続けるのです。
ドライフラワーの花言葉である「終わりのない愛情」。
すこしづつ色褪せていこうとも、「貴方」への想いはずっと残り続けるのです。
考察
ドライフラワーの2つの使われ方

歌詞分析でも述べたとおり、1番と2番ではドライフラワーの「色褪せる」という性質に焦点が当てられています。
たしかに、ドライフラワーのイメージは、もう枯れてしまった花で、徐々に色褪せていく、といったものです。
この性質は、一見二人の恋愛の終わりを象徴しているように感じます。
しかし最後のサビでは、ドライフラワーの「枯れない」という性質に焦点が当てられており、私の未練の気持ちが表れていました。
実際のところ、ここが「私」の本音であったと筆者は考えました。
ドライフラワーは、「好きと嫌い」の中で揺れ動き苦しむ「私」の姿を象徴するように用いられているのです。
少しづつ色褪せていくけど、決して枯れてしまうことはない。
ドライフラワーは「私」の気持ちとリンクして、「私」の未練の気持ちを表現した花であると言えます。
「好きだった」からこそ辛い… 未練の気持ち
本楽曲中では、2番の終わりまで「好き」という言葉が1度も用いられていません。
しかし、歌詞分析の結果を見てみると、「私」は未練の気持ちを強く持っていました。
これは「貴方」のことをまだ好きであるというほかないように感じます。
「もう好きじゃない」と自分に言い聞かせてきた「私」ですが、”好きという気持ち また香る”という部分で本音が見えます。
このように、未練があるからこそ「もう好きじゃない」と自分に言い聞かせる「私」の姿はとても切なく、聴く人を魅了するのではないでしょうか。
「好き」と「嫌い」中で揺れ動く「私」の姿は、楽曲を聴いていても、なんとか自分をだまして忘れようとしているようにしか見えません。
何とも切ない感情ですが、「恋人たちの別れ」という現象を非常によく表していると言えるでしょう。
筆者の感想
切なすぎる本楽曲の考察でしたが、聴いているとなんだか過去の失恋を思い出してしまうような楽曲でしたね・・・
筆者も、中学校の頃付き合っていた人のことを思い出してしまいました。元気にしてるかな…
楽曲内でもあったように、今となってはいい思い出となっているのですが、当時は落ち込みました。それこそ、本楽曲のようにいろいろ考えましたね。好きでいた事実は、別れた後も変わりませんもんね・・・
余談ですが、話題に上がる曲って、こういった失恋ソングが多いような気がします。(データがあるわけではないので、何とも言えませんが。)
やはり、人が落ち込んだ時には、音楽に救いを求めるからなのですかね。・・・と、妄想を膨らませております。
今日の考察も、楽しんで行うことができました。近々、「かくれんぼ」の考察もしたいと思いますので、そちらも是非ご覧ください!
※追記
音楽理論とコード進行の観点から楽曲を考察されている「er-music」様で、本記事を紹介していただきました!ありがとうございます!
音楽理論の観点からこの楽曲を見ると、また違った発見を得ることができます!こちらのサイト様も、是非ご覧ください!

最後まで読んでいただきありがとうございました!
ご感想や、「こんな曲の考察も見たい!」というご意見ありましたら、コメント欄までお願いします!
それでは( ^^) _U~~
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