【歌詞の意味】まふまふ「二千五百万分の一」のここがすごい!タイトルが表す意味「出会いという奇跡」とは?

まふまふ「二千五百万分の一」のここがすごい!歌詞の意味

こんにちは!

今日は、まふまふの「二千五百万分の一」を徹底的に考察し、歌詞の意味を解説します!

人と人が出会えた奇跡について歌われた本楽曲。

深読みすればするほど味わい深い、秀逸な表現の数々がすごい!

いろんな解釈が生まれる、まさに歌詞分析のし甲斐がありすぎる楽曲になっています。

この記事では歌詞分析をもとに、筆者の解釈をご紹介します!

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タイトルの意味

本楽曲は、アニメ『リーマンズクラブ』のエンディング曲として書き下ろされました。

以下、まふまふのコメントをご紹介します!

 エンディングを担当させて頂くことになりました、まふまふです。いま僕らの周りにいる大事な人たちと同じ時を過ごす確率は、“1/25000000”と言われています。

 天文学的な確率で出会った人達が、一つのことを共に成し遂げようとする様は、奇跡と呼ぶに相応しいのではないかとこの曲を作りました。

https://rockinon.com/news/detail/201285.amp より引用

人が生涯の中で出会う、親しくやり取りをする人の数は300人と言われています。

世界人口で考えると、その確率は約1/25000000です。

大切な人との、かけがえの無い出会い。

本楽曲では、そんな1/25000000という確率のもと出会った奇跡について歌われています。

歌詞の意味

1番

忙しない往路 タに凪いだ 風擬き
忘れ 忘れられそうになって 花霞
ふわり 窓越しの春に気づいたのは
有り余るほどの軌跡

まふまふ「二千五百万分の一」-作成:まふまふ
夕方の街並み

ここでは、出会いについて思いをはせながら、「ボク」が見ている情景が表現されています。

歌詞の始めは古風な表現が使われていて、言葉と情景の美しさを感じますね

“忙しない往路 タに凪いだ 風擬き”

“忙しない往路”は、人が行きかう様子を表していると考えられます。

また、“夕に凪いだ”が指すものは、「夕凪(ゆうなぎ:海の沿岸部などで、夕方に無風の状態になること)」でしょう。

これらを合わせて考えると、「人が行きかう忙しない往路が、夕方には人が少なくなり、まるで夕凪で風がない様子に似ている」といった情景を表していると考えられます。

また、「夕凪」は夏の終わりを指す季語であり、この楽曲は夏に歌われていると考えられます。(詳しくは、「考察」で書きたいと思います!)

“忘れ 忘れられそうになって 花霞”

“花霞”は「咲きそろった桜が遠くから見ると、霞のかかったように淡く見えること」の意味です。

ここで登場する桜は実際の風景ではなく、「君」と出会った日のことを思い返している「想い出の情景」として用いられていると解釈しました。

繰り返してきた出来事や出会いは、時間の流れと共に霞んでいきます。しかし、それは遠くに見えても、確かにそこにあります。

こういった描写を、出会いの春を想起させる桜=「君」との出会いとして表現したのではないでしょうか。

そして、“窓越しの春”という表現から、これらの情景を「ボク」は、部屋の中から思い返していることがわかります。

これらの歌詞は、部屋の中から夏の夕暮れの静かな情景を見た「ボク」が、思い出を振り返っているようなシーンを表現している、と言えます。

あの日
足を止めてみたから
雨が止んでいたから
ああ 気まぐれが寄り道を促して
君に出会えたのだ それくらいのことも
当たり前に思えないや

まふまふ「二千五百万分の一」-作成:まふまふ

ここでは、「君」との出会いに対する「ボク」の気持ちが表現されています。

足を止めたり、雨がやんでいたりという些細なきっかけ。そういったものから、この出会いは生まれました。

“気まぐれが寄り道を促して
君に出会えたのだ”

もし、何かが違っていれば、「君」とは出会わなかったかもしれない。

そんな運命の気まぐれとも取れるような出来事によって、二人は出会うことになったのです。

まさに偶然と呼べる二人の出会いですが、「ボク」はそれを決して当たり前のこととは思えません。

これらの歌詞からは、この出会いを大切に思う「ボク」の気持ちが感じられます。

たとえば偶然を運命と呼べたら
明日は前を向けるのか
そうやって 何遍も
願ってみせるが人生なんだ
君もそうでしょ?

まふまふ「二千五百万分の一」-作成:まふまふ

ここでは、出会いに必然性を感じたいという「ボク」の気持ちが表現されています。

“たとえば偶然を運命と呼べたら
明日は前を向けるのか”

上の歌詞にもあったように、偶然の重なりによって生まれた二人の出会い。

ですが「ボク」は、それを単なる偶然ではなく、「運命」としてとらえたいと考えています。

この出会いは、元から決まっていたという必然性。

この歌詞からも、出会いを大切に思う「ボク」の気持ちが伝わってきます。

そして「ボク」は、「君」にも同じように思っていて欲しいと願います。

それはニ千五百万分の一を
辿り歩く夢の満ち欠け
君の明日無くしては生きられないような
ボクを導いておくれ
消えかけた今日を選んだのは
有り余るほどの奇跡

まふまふ「二千五百万分の一」-作成:まふまふ

ここでは、出会いという奇跡を大切に思う「ボク」の気持ちが表現されています。

歌詞初めの“それは”が指す内容は、「出会いという奇跡」であると解釈できます。

“君の明日無くしては生きられないような
ボクを導いておくれ”

という歌詞からは、「君なしでは生きられない」という「ボク」の想いの強さが伝わってきます。

“消えかけた今日を選んだのは
有り余るほどの奇跡”

楽曲の歌詞の始まりにもあったように、忘れ忘れられを繰り返していく毎日。

良いことも悪いことも、今日という日に「ボク」を導いてきたのは、たくさんの奇跡=出会いであると「ボク」は考えます。

2番

明日は何をしようか 何処へ行こうか
なんて話はいつ以来だろう
怒鳴る始発のベル 駆り立てる
大人なのさボクらは
物語の主役にはなれないってわかっているけど
こんな何気ない毎日が愛しくてたまらない

まふまふ「二千五百万分の一」-作成:まふまふ
電車のレール

1番では思い出が主に語られていましたが、ここからは現在のことが描かれていきます。

“明日は何をしようか 何処へ行こうか
なんて話はいつ以来だろう”

という歌詞から、二人は久しぶりに会ったのではないかと考えられます。

計画を練って、始発からみっちり組み込んだスケジュール。昔のように過ごせる時間を楽しんでいることが伝わってきます。

“こんな何気ない毎日が愛しくてたまらない”

そうして過ごす時間は、かつてはありふれた日常でした。今となっては、そんな当たり前の日々もしいと「ボク」は感じています。

これらの歌詞から推察するに、二人は今お互い遠くにいるのではないでしょうか。

本当は人生をいつかは取り返せたらいいな
ってそうやって何遍も
泣いてみせるのが人生なんだ
ボクはそうだよ

まふまふ「二千五百万分の一」-作成:まふまふ

ここでは、人生の辛い時間を想う「ボク」の気持ちが表現されています。

“本当は人生をいつかは取り返せたらいいな”

という歌詞からもわかるように、「ボク」の人生には様々な後悔があったのでしょう。

何度もそういった公開を繰り返してきた「ボク」ですが、それこそが人生であると「ボク」は捉えています。

青い絵の具だけ空っぽみたいな
明日の分まで澄み渡る夏
ビルの隙間を切り取ってしまうような
幻を見せておくれ

まふまふ「二千五百万分の一」-作成:まふまふ

ここでは、「君」と合えない時間について想う「ボク」の様子が表現されています。

“青い絵の具だけ空っぽみたいな
明日の分まで澄み渡る夏”

という歌詞は、雲一つない夏の空のことを、絵の具をすべて使い切ったように青いと表現しています。

また、「空っぽ」という表現からは、「君」がいないことで生まれる「ボク」の心の空虚が投影されていると考えられます。

“ビルの隙間を切り取ってしまうような
幻を見せておくれ”

“ビルの隙間”=心の隙間を、夏の青空で埋めて欲しいという歌詞になっています。

これらの歌詞には、夏の青空に、寂しさを埋めて欲しいと願う「ボク」の気持ちが表現されています。

2番以降

偶然を 運命を
受け入れたら明日は来るのさ
そうやってボクたちは
そうしたらボクは
大人になったよ
涙隠すため星を見るんだ
君の分まで澄み渡る夏
ビルの隙間を切り取ってしまうような
幻を見せておくれ

まふまふ「二千五百万分の一」-作成:まふまふ

ここでは、寂しさを乗り越えようとする「ボク」の気持ちが歌われています。

寂しいと感じる今もまた運命であると捉えることで、「ボク」は大人になろうとします。

“涙隠すため星を見るんだ
君の分まで澄み渡る夏”

「ボク」は涙が零れないように、上を向いて星空を見ます。

そして、夏の夜空の美しさで心を埋めることで、「君」がいない時間を慰めようとします。

これらの歌詞には、大人になった今、「君」のいない時間を乗り越えようと頑張る「ボク」の姿が表れていると言えます。

それはニ千五百万分の一を
辿り歩く夢の満ち欠け
君の明日無くしては生きられないような
ボクを導いておくれ
消えかけた今日を選んだのは
有り余るほどの奇跡

まふまふ「二千五百万分の一」-作成:まふまふ

同じ歌詞の繰り返しなので、省略します!

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考察

「君」が帰ってきた夏を描いた楽曲?

夕暮れ時のヒマワリ

歌詞の意味でもいったように、この楽曲は夏に歌われていると解釈しました。

「夕凪」という言葉が表す季節、そして2番の歌詞にある“澄み渡る夏”という歌詞から、この結論に至りました。このように考えると、

“忘れ 忘れられそうになって 花霞
ふわり 窓越しの春に気づいたのは
有り余るほどの軌跡”

という歌詞は、思い出を振り返っている歌詞であると言えます。

桜の木が集まって生まれる「花霞」。これに、「君」との思い出の数々が重なります。

忘れてしまいそうになっても、それは確かに遠くに見えます。

窓の外には、確かに「君」との出会いがあったことを感じることができたのです。

そして、それを感じることができた(思い出すことができた)要因こそ、「君」との再会であったと考えられます。

この楽曲のストーリー

上に書いた考察から、この楽曲のストーリーが見えてきます。

“ビルの隙間を切り取ってしまうような
幻を見せておくれ”

「君」がいないことで、空虚な気持ちになる「ボク」。

夏の青空に、寂しさを埋めて欲しいと考えます。

“明日は何をしようか 何処へ行こうか
なんて話はいつ以来だろう”

夏の終わり、「君」と「ボク」は再会しました。

二人はまるで昔のように、ともに時間を過ごします。

“涙隠すため星を見るんだ
君の分まで澄み渡る夏”

楽しい時間も、「君」がまたいなくなってしまったことで終わりを迎えます。

そんな寂しさを、夜空の星に埋めて欲しいと「ボク」は願います。

“忙しない往路 タに凪いだ 風擬き
忘れ 忘れられそうになって 花霞
ふわり 窓越しの春に気づいたのは
有り余るほどの軌跡”

そして夏の終わり、「ボク」は「君」との出会いを思い返します。

遠く離れていても、確かにそこにある思い出。「君」との軌跡は、遠くで咲き誇っているかけがえの無い奇跡だったのです。

この楽曲の歌詞は、時系列を行ったり来たりと、複雑に作りこまれているのだと考えられます。

このストーリーが絶対!とは言えませんが、この楽曲が描いていたのは、「君」との思い出を通して描かれる「出会いという奇跡」だったと言えるのではないでしょうか。

筆者の感想

美しい情景描写と、複雑に作りこまれた構成が魅力的な楽曲でした。

歌詞の解釈も、非常に幅広く出来る楽曲であると思います。

歌詞に込められた意味についても、本人とは違ったところも多いと思います。

その中でも伝わってくる、「出会い」という奇跡の大切さ。

深読みすることで、どこまでも味わい尽くせる楽曲だったと思います!

この記事の感想やご意見など、是非コメント欄までお待ちしております!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは(@^^)/~~~

 

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