【歌詞の意味】YOASOBI「群青」のここがすごい!原作「ブルーピリオド」の世界観と、楽曲の魅力がベストマッチ!

【歌詞の意味】YOASOBI「群青」のここがすごい!歌詞の意味

こんにちは!

今日は、YOASOBIの「群青」を分析、考察し、歌詞の意味を解説していきます!

漫画「ブルーピリオド」を原作とした本楽曲。

青春を感じるさわやかな表現と、美しい情景が浮かぶ歌詞に注目!

そんな本楽曲の魅力に、歌詞分析の観点から迫ります!

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原作「ブルーピリオド」という作品

本楽曲は、山口つばさ作の漫画「ブルーピリオド」をモチーフとした楽曲になっています。

漫画を知らない、読んだことがないとしても、本楽曲を楽しむことは十分に可能です。

しかし、歌詞分析、考察をするうえで、「ブルーピリオド」の概要を少し知っておくと、より理解が深まり、考察を楽しんでいただけるかと思います!

そこで、まず初めに「ブルーピリオド」について、ざっくりとあらすじを紹介したいと思います!

「ブルーピリオド」のざっくりとしたあらすじ

高校2年生の矢口八虎は、友人たちと酒をあおり、煙草を嗜む不良生徒であった。
しかし彼は成績優秀で、なおかつ愛嬌もあり、友人からの評価は上々であった。
成績優秀、友人関係良好と、そつなく学校生活を楽しむ八虎だったが、何でも要領よくこなすことのできる彼は、本気で熱中できることを見いだせず、どこか虚しい毎日を過ごしていた。
そんな彼はある日、上級生の書いた1枚の「絵」と出会った。それがきっかけとなり、次第に「美術」の道に惹かれていった彼は、芸術大学への入学を目指すことになった。
夢を追いかける学生たちの「本気の姿」を描いた、青春群像劇である。

「ブルーピリオド」という作品が気になった方は、以下のサイトにてより詳しい解説がされているので、ご参考に!

『ブルーピリオド』徹底解説!美大を目指す高校生のリアルな青春ストーリー(ネタバレあり)
今、漫画好きの間で、「面白い!」と評判を高めている『ブルーピリオド』。東京藝術大学をはじめ、美大入学を目指す高校生たちの青春ストーリーです。タイトルの『ブルーピリオド』とは、有...

この物語を踏まえながら、本楽曲の伝えたいところ、本楽曲の魅力について、「歌詞分析」という観点から迫っていきたいと思います!

原作を反映した「青春」を描いた楽曲

本楽曲のモチーフとなった「ブルーピリオド」という作品は、いわゆる青春群像劇(せいしゅんぐんぞうげき)と呼ばれるジャンルになります。

青春群像劇とは、群像の文字が表すように、何人かの若者に対してひとりひとりの生きざまを描き、それらを包括する概念である「青春」を主として描いた作品の事です。

本楽曲においてもいたるところに「青春」を感じるような表現が用いられており、「ブルーピリオド」の世界観が存分に表れています。

「青春らしさ」と一口に言っても色々ありますが、本楽曲においては「何かに向けてひたむきに努力する姿」のことを指すでしょう。

そのため本楽曲は、聴いていて、頑張る勇気をもらえる。そんな効果を、聴き手にもたらします。

また、本楽曲の表現の魅力として、「ブルーピリオド」の主人公が絵を描くという特性を生かした、「絵的な表現」が挙げられます。

「描く」「自分の色」という表現は絵的な表現ですが、夢や希望をテーマにした楽曲にも多く見られます。

そのため本楽曲は、「ブルーピリオド」という作品の世界観を崩すことなく、楽曲としての完成度も非常に高くなっています。言い換えたら、「ブルーピリオド」を知らなくても、楽しむことができる楽曲、ということです。

そんな、「青春」を感じる表現と、「絵的な表現」の数々にも注目しながら、分析を進めてみます!

歌詞の意味

1番

嗚呼いつもの様に 
過ぎる日々にあくびが出る
さんざめく夜超え今日も 
渋谷の街に朝が降る
どこか虚しいような 
そんな気持ちつまらないな
でもそれでいい そんなもんさ
これでいい

YOASOBI「群青」ー作成 Ayase
朝日に包まれる街

この部分では、毎日を空虚に生きる主人公の気持ちが表れています。

いつもの同じように様に繰り返していく日々は”あくびが出る”ように退屈で、”そんな気持ちつまらないな”と主人公は感じます。

”さんざめく夜超え今日も
渋谷の街に朝が降る”

という歌詞は、「今日も」とすることで、日々が繰り返していくことを表現しています。

「朝が降る」とは何となくさわやかで、朝日が降り注ぐ様子をイメージしますが、そんな平和な日々に退屈している主人公の気持ちが見て取れます。

”でもそれでいい そんなもんさ
これでいい”

主人公はそんな日々を半ばあきらめています。

我々も、何でもない日々を過ごしていると、どこか虚しく感じる時がありますよね。

しかし、「そんなものだ」と、自分に言い聞かせます。この部分の表現は、そういった我々の気持ちともリンクして、共感性が高いものになっています。

知らず知らず隠してた
本当の声を響かせてよほら
見ないフリしていても
確かにそこにある

YOASOBI「群青」ー作成 Ayase

この部分では、「好きなこと」と出会った主人公が、自分の本音と出会う様子が表現されています。

”知らず知らず隠してた
本当の声を響かせてよほら”

この歌詞は、先ほど主人公が「これでいい」と諦めてきた現状に対するアンサーです。

本当は、生きる目標が欲しい。何かに熱中したい。

たとえ”見ないフリしていても”それこそが主人公の本音なのです。

感じたままに描く
自分で選んだその色で
眠い空気纏う朝に
訪れた青い世界
好きなものを好きだと言う
怖くて仕方ないけど
本当の自分 
出会えた気がしたんだ

YOASOBI「群青」ー作成 Ayase

この部分では、生きがい=「好きなこと」を見つけた主人公の様子が表現されています。

”感じたままに描く
自分で選んだその色で”

という歌詞には、「絵的な表現」が使われています。

自分が好きと感じたことを全力でする、という主人公の決意が、絵を描くことに比喩して表現されています。

”眠い空気纏う朝に
訪れた青い世界”

という歌詞は、は、どこか虚しさを感じていた自分の心が、「好きなこと」と出会うことで晴れていく様子を、朝を迎える街の様子に例えて表現しています。

このあたりの心象表現の巧みさは、流石YOASOBIですね。

そして、”好きなこと”と向き合うことは、時に辛いこともあり、怖いものです。

熱中しているからこそ悔しさを感じ、時に挫折も味わうことでしょう。”好きなこと”に打ち込む怖さは、我々もよく知っています。

しかし、朝日の降る爽やかな朝の中、主人公は「好きなこと」に打ち込む自分こそが”本当の自分”であることに気が付きます。

こういった爽やかさは、まさに「青春」の醍醐味と言えますね。

2番

嗚呼手を伸ばせば
伸ばすほどに 遠くへゆく
思うようにいかない今日も
また慌ただしくもがいてる
悔しい気持ちも
ただ情けなくて 涙が出る
踏み込むほど 苦しくなる
痛くもなる

YOASOBI「群青」ー作成 Ayase

思い悩む女性

この部分では、1番サビで示された、「好きなこと」に打ち込むことの「怖さ」が描かれています。

夢というものは、簡単に叶うものではありません。いくら努力して手を伸ばしても、そうするほどに現実を思い知らされます。

”思うようにいかない今日も
また慌ただしくもがいてる”

なかなかうまくいかない毎日でも、主人公は必死にしがみつこうとします。こんな、少し青臭いような努力感も、「青春」を感じますね。

そして、時には自分の力不足に、涙が出てしまうこともあります。

”踏み込むほど 苦しくなる 痛くもな”は、先にも述べたような、努力すればするほど、夢が遠ざかるような感覚を表しています。

これらの歌詞からは、「青春」らしい努力と挫折、そして夢を追いかけることに対する葛藤が描かれています。

感じたままに進む
自分で選んだこの道を
重いまぶた擦る夜に
しがみついた青い誓い
好きなことを続けること
それは楽しいだけじゃない
本当にできる 不安になるけど

YOASOBI「群青」ー作成 Ayase

この部分では、好きなことに打ち込む怖さ」の中でも、必死に努力を続ける主人公の様子が描かれています。

”感じたままに進む 自分で選んだこの道を”とは、まさにそんな主人公の決意を表したような表現です。

”重いまぶた擦る夜に
しがみついた青い誓い”

という歌詞は、現実の描写と心理描写が入り混じった表現になっています。

夜遅くまで、努力を続ける主人公。そんな主人公を支えるのは、”青い誓い”です。

これは、1番サビにあった、朝を迎える街になぞって表現した「好きなこと」に打ち込むという誓いです。

そして、”好きなことを続けること”は、いつだって楽しいことばかりではありません。

時には、「本当にこれでいいのか?」と不安になることもあります。

そんな「好きなこと」に対する葛藤も、まさに「青春」と言えるでしょう。

2番以降

何枚でも ほら何枚でも
自信がないから描いてきたんだよ
何回でも ほら何回でも
積み上げてきたことが武器になる
周りを見たって 誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかない それでも

YOASOBI「群青」ー作成 Ayase

ここでは、そんな葛藤の中必死に努力を続ける主人公の様子が描かれています。

”何枚でも ほら何枚でも
自信がないから描いてきたんだよ”

という歌詞は、絵を描く主人公ならではの努力の描写ですね。

またここでは、「描く」という表現の多義的な側面が発揮されています。

単に「絵を描く」だけではなく、「夢を描く」「思いを描く」といった意味合いも、この歌詞から感じることができます。

これによって、「ブルーピリオド」という作品を知らない人でも「え、なんで急に描くってでてきたの?」とならず、各々が思い描く「努力」の形を、主人公に感じることができます。

”周りを見たって 誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかない それでも”

そんな努力を繰り返す中でも、これが「僕にしかできないこと」であるのかどうか、未だに自信はありません。

それでも自分を信じて、主人公は描きます。それほどまでに「好きなこと」に熱中する主人公の姿が見て取れます。

感じたことない気持ち
知らずにいた思い
あの日踏み出して
初めて感じたこの痛みも全部
好きなものと向き合うことで
触れたまだ小さな光
大丈夫行こうあとは楽しむだけだ

YOASOBI「群青」ー作成 Ayase

ここでは、そこまでして頑張る主人公を支える、主人公の初心の気持ちが描かれています。

”感じたことない気持ち 知らずにいた思い”とは、「好きなこと」に出会った主人公の気持ちを表します。

”あの日踏み出して
初めて感じたこの痛みも全部”

これらのことも含めて、「好きなこと」に向き合ってきたからこそ見えた物こそ、”まだ小さな光”なのです。

「好きなこと」に打ち込む喜びは、「痛み」があったからこそのものです。

いつか大きな光になることを目指して、主人公は走り続けます。

そんな様子を表した言葉が、”大丈夫行こうあとは楽しむだけだ”という歌詞です。

全てをかけて描く
自分にしか出せない色で
朝も夜も走り続け
見つけ出した青い光
好きなものと向き合うこと
今だって怖いことだけど
もう今はあの日の透明な僕じゃない
ありのままの かけがえの無い僕だ

YOASOBI「群青」ー作成 Ayase

青空の下で解放感を感じる女性

この部分は、あらためて「好きなこと」に向かっていく主人公の様子が表現されています。

”全てをかけて描く
自分にしか出せない色で”

という歌詞には、また「絵的な表現」が用いられています。

文字通り、青春の全てを「好きなこと」に駆ける主人公の熱意が伝わってきます。

そして、走り続けてきたからこそ見えた物こそ、”青い光”は、「好きなこと」に打ち込む喜びです。

”もう今はあの日の透明な僕じゃない”

今でも、”好きなことと向き合う”怖さは、消えたわけではありません。

それでも、主人公は変わりました。
”透明な僕”とは、毎日を空虚に過ごした主人公のことです。

今は、”自分にしか出せない色”に染まった、”ありのままの かけがえの無い僕なのです。

これらの歌詞からは、主人公の気持ちの変化を感じることができます。

知らず知らず隠してた
本当の声を響かせてよほら
見ないフリしていても
確かにそこに今もそこにあるよ
知らず知らず隠してた
本当の声を響かせてよさあ
見ないフリしていても
確かにそこに君の中に

YOASOBI「群青」ー作成 Ayase

そして最後には、1番と同じ歌詞が用いられています。

これは、初心を忘れることなく頑張り続ける主人公の姿を表現したかったからではないでしょうか。

詳しい分析は前述しているため、省略します!

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考察

原作と楽曲世界観のバランス

本楽曲には、原作特有の「絵的な表現」「青春を感じる表現」が盛り込まれていました。

原作を知ることで、本楽曲の魅力により近づくことができたことは言うまでもありませんが、本楽曲はたとえ原作を知らなくても十分に楽しめるものとなっています。

実際に、筆者も本楽曲を初めて聴いた時には、「ブルーピリオド」という作品のことは全く知りませんでした。

本楽曲は、原作の世界観をよく表しながらも、楽曲としての質を保っているという、非常にバランスのいい作品であると言えます。その理由は、表現の巧みさにあると考えられます。

歌詞の意味でも述べましたが、「絵的な表現」に用いられる「描く」や「色」という言葉は、「絵」としての側面を表すかに関わらず、JPOPによく用いられる表現です。

同じく「青春を感じる表現」でも、原作をよく表しながらも、完全に原作ありきな表現にはなっていません。

だからこそ本楽曲を聴いても、原作のイメージにとらわれるにとらわれることはありません。

自分自身の経験と結びつけながら、「青春を象徴するような楽曲」という大きなくくりで、本楽曲を楽しむことができます。

だからこそ本楽曲は特定のファン層だけではなく、多くの人の支持を得ているのではないでしょうか。

先にも述べましたが、こういった原作とのバランスを保つ巧みさは、YOASOBIの魅力でもあります。
これは、いわゆる「名曲」と呼ばれるようなアニメソングなどでも見られる現象ですね。(またそういった楽曲の考察も書きたいなあ)

情景的な爽やかさ

他に本楽曲の魅力として、本楽曲を取り巻く「爽やかさ」があります。

本楽曲の心象表現は非常に巧みで、青春の爽やかな思い、決意が、朝を迎えた街や群青の空にたとえられています。

眠たげに目をこする明け方から、朝になるにつれて広がる青い世界が、虚しさの中で「好きなこと」という光を見つけた主人公の心情によくマッチしています。

こういった、心理描写をよく表した情景の表現が用いられることで、我々は楽曲の世界観をよくイメージすることができます。

そして、そういったイメージが、我々を楽曲世界へと誘うのです。

タイトルに込められた意味

本楽曲のタイトルは、様々な要素によって成り立っていると考えられます。

ひとつは、情景的な表現としての効果です。

「群青」とは紫がかった深い青色のことを指し、雲のない澄み渡るような空の表現にはもってこいです。

本楽曲の主な舞台となる「朝の街」をよく表していると言えます。

もうひとつは、青春の「青」を反映しているという要素です。

歌詞の意味でも述べたように、本楽曲は非常に青春らしい表現が多く用いられていました。

「朝の街」という具体的なイメージだけではなく、「青春」という概念的なイメージを表すことにも、タイトルは一役買っていると考えられます。

他にも、原作のジャンルである「青春群像劇」からきているなども考えられます。

こちらは割と想像の範疇にはなってしまいますが、タイトルの意味について深読みできるのもまた、本楽曲の魅力であると言えるかもしれません。

筆者の感想

YOASOBIの楽曲の考察をしていると、本当に巧みな表現の数々に驚かされます。

筆者も作詞の経験があるのですが、描きたいストーリーを表現することと、楽曲としてのクオリティーを保つことのバランスは、本当に難しいです。具体的に書きすぎてもチープに見えるし、逆はわかりづらくなるし・・・

このあたりの表現技法は、流石としか言いようがありません。

本考察を読んで、より「群青」を楽しむ手助けになれば幸いです。

曲ご感想やご意見、考察リクエストなどあれば、是非コメント欄まで!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

それでは( ^^) _U~~

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