こんにちは!
今日は、Official髭男dismの「ミックスナッツ」を徹底的に考察し、歌詞の意味を解説します!
「普通」とは違った家族、そこにある確かな幸せ。
誰もが「普通」とのずれに苦しめられる世界の中で、「家族」という居場所の温かさを感じられる楽曲です。
そんな本楽曲の魅力に、歌詞分析の観点から迫っていきます!
✔アニメ世界とのつながり
✔「家族」とはどういう存在なのか
✔「ピーナッツ」に込められた意味
アニメ『SPY×FAMILY』の主題歌
本楽曲は、テレビ東京より放送されているアニメ『SPY×FAMILY』の主題歌として書き下ろされました。
『SPY×FAMILY』は、スパイである黄昏が、殺し屋であるヨル、超能力を持つ子どもアーニャの3人と、任務のために「かりそめの家族」を作り、ミッションに挑むというアクションコメディーです。

少し歪な家族関係、互いに正体すら明かせない中で育まれる愛情が何とも面白おかしく、心温まる作品となっています。
そんな原作世界観がどのように楽曲に反映されているのかに注目しながら、歌詞の分析を進めていきたいと思いうます!
歌詞の意味
1番
袋に詰められたナッツのような世間では
Official髭男dism「ミックスナッツ」-作成:藤原聡
誰もがそれぞれ出会った誰かと
寄り添い合ってる
そこに紛れ込んだ僕らは
ピーナッツみたいに
木の実のフリしながら微笑み浮かべる

ここでは、異質な家族を構成する主人公一行を表した歌詞がつづられています。
“袋に詰められたナッツのような世間では”
姿かたち、匂い、味の違うナッツたちが入り混じっているミックスナッツの袋。
私達の住む世界もまた、色々な人が入り混じっており、ミックスナッツのようであると「僕」は考えます。
そして、そんな違いの中、人々は寄り添い合って生きているのです。
“そこに紛れ込んだ僕らは
ピーナッツみたいに
木の実のフリしながら微笑み浮かべる”
しかしながら、主人公一行の世間との違いは、あまりにも大きいものです。
スパイ、殺し屋、超能力者と個性の塊です。
ピーナッツは本来ナッツ(=木の実)とは違い、マメ科の植物です。
世間の中に混じりながらなんとか「普通」を演じようとする主人公たちは、ナッツのような顔をしてミックスナッツの中に混じったピーナッツのようであると「僕」は感じます。
幸せのテンプレートの上
Official髭男dism「ミックスナッツ」-作成:藤原聡
文字通り絵に描いたうわべの裏
テーブルを囲み手を合わすその時さえ
ありのままでは居られないまま
ここでは、そんな世間の中で生きる難しさが描かれています。
“幸せのテンプレートの上
文字通り絵に描いたうわべの裏”
「かりそめの家族」を作りながら、正体を隠すためにテンプレートの行動をとる主人公たち。
表向きは幸せで「普通」な家族、その裏で秘密を抱える彼らを表現した歌詞です。
そしてそんな彼らは、お互いにすら正体を明かせず、父、母、娘という「役割」を演じなければならないのです。
隠し事だらけ 継ぎ接ぎだらけの
Official髭男dism「ミックスナッツ」-作成:藤原聡
Home,you know?
噛み砕いても無くならない
本音が歯に挟まったまま
不安だらけ 成り行き任せの
Life, and I know
仮初めまみれの日常だけど
ここに僕が居てあなたが居る
この真実だけでもう胃がもたれてゆく
ここでは、そんな「かりそめ」の中に感じる幸せについて語られています。
お互いに秘密を抱えている彼らは、毎日の生活もごまかし合いながら生きています。
“噛み砕いても無くならない
本音が歯に挟まったまま”
家族なら明かせるはずの本音も、お互いに言えずにいる主人公たち。
それは、演じている「普通」を壊してしまうかもしれないからです。
歯に挟まったナッツのように、気になりながらもどうすることもできないのです。
そして、そんな毎日には不安も多くあり、成り行きに任せて進んでしまうこともあります。
“仮初めまみれの日常だけど
ここに僕が居てあなたが居る”
しかし「僕」は、そんな「かりそめ」を幸せに感じます。
「普通」とはかけ離れているけれど、お互いに一緒にいる毎日は、彼らにとってかけがえの無いものなのです。
“この真実だけでもう胃がもたれてゆく”
幸せでおなかいっぱい、という表現はよく聞きますが、主人公たちにとっては他の様々な要素により、おなかいっぱいを通り越して胃もたれしてしまう毎日。
腹持ちの良いナッツのように、彼らの毎日には幸せも大変さも溢れているのです。
スポンサーリンク
2番
化けの皮剥がれた
Official髭男dism「ミックスナッツ」-作成:藤原聡
一粒のピーナッツみたいに
世間から一瞬で弾かれてしまう
そんな時こそ
曲がりなりで良かったら
そばに居させて
共に煎られ揺られ踏まれても割れない
殻みたいになるから

ここでは、「普通」との違いに苦しむ主人公たちの姿が描かれています。
“化けの皮剥がれた
一粒のピーナッツみたいに”
「普通」ではないとばれてしまった瞬間、世間は彼らをはじき出そうとします。
これは、社会でよくある現象ですよね。
そうなってしまわないよう、彼らはピーナッツのように自分の正体をからの中に隠し通さなければならないのです。
“曲がりなりで良かったら
そばに居させて”
そして、世間からつまはじきにされたとしても、そばで支えることのできる存在こそ「家族」なのです。
お互いに秘密を抱えているからこそ、彼らは寄り添い合うことができます。
ピーナッツの殻のように、一緒にいれば煎られようが、揺られようが、踏まれようが、彼らは強く生きることができます。
生まれた場所が木の上か地面の中か
Official髭男dism「ミックスナッツ」-作成:藤原聡
それだけの違い
許されないほどにドライなこの世界を
等しく雨が湿らせますように
ここでは、「普通」を排除する世間への気持ちが描かれています。
ピーナッツとナッツの違い、そんなもの生まれた場所くらいのものです。
どっちも食べてしまえば、結局おいしいですし。
“許されないほどにドライなこの世界を
等しく雨が湿らせますように”
しかし、些細な違いすら世間は排除しようとします。
一方で、雨はピーナッツにとってもナッツにとっても恵みとなる、平等な存在です。
世間にもそんな恵みの雨が等しく降って欲しいと「僕」は思います。
時に冷たくて騒がしい窓の向こう
Official髭男dism「ミックスナッツ」-作成:藤原聡
you know?
星の一つも見つからない
雷に満ちた日があっても良い
ミスだらけ アドリブ任せの
Show, but I know
所詮ひとかけの日常
だから腹の中にでも流して寝よう
ここでは、いろんなことがある毎日について歌われています。
“時に冷たくて騒がしい窓の向こう”
天候がころころ変わるように、過ごす毎日にも浮き沈みがあります。
それこそ、さっきのような「世間からの排除」にさらされることもあるでしょう。
そんな、星も見つからず、雷にみちるような日があってもいいんだと「僕」は言います。
“所詮ひとかけの日常
だから腹の中にでも流して寝よう”
生きていく中でミスもあるし、その場しのぎのアドリブが出ることもあります。
しかし、それは人生という長い時間の中のひとかけにすぎません。
ナッツのように、胃の中に流し込んでしまえばいいのです。
2番以降
隠し事だらけ 継ぎ接ぎだらけの
Home, you know?
とっておきも出来合いも
残さずに全部食らいながら普通などない 正解などない
Official髭男dism「ミックスナッツ」-作成:藤原聡
Life, and I know
仮初めまみれの日常だけど
ここに僕が居てあなたが居る
この真実だけでもう胃がもたれてゆく
この一掴みの奇跡を噛み締めてゆく

ここでは、「かりそめ」の毎日を噛み締めて生きる「僕」の姿が描かれています。
“とっておきも出来合いも
残さずに全部食らいながら”
日々には楽しいことも悲しいことも、簡単なことも難しいことも溢れています。
しかし、それらをひっくるめて人生なのです。
そのすべてが、「あなた」といる幸せにつながります。
ミックスナッツと同じで、すべてをひっくるめて食べることで、この幸せを感じることができるのです。
そこには、普通だとか正解だとか、そんなものはありません。
幸せというミックスナッツは、自分自身だけが味わうことができるのです。
“この一掴みの奇跡を噛み締めてゆく”
そして「僕」は、この自分だけのミックスナッツ=幸せを、噛み締めて味わっていくのです。
考察
ピーナッツに込められた意味

本楽曲では、「普通」とは違う自分たちのことをピーナッツとして表現していました。
これには、3つの意味があると考えられます。
1つ目は、楽曲にもあった「他とは違う」という意味。
ピーナッツは見かけ上、ナッツの中に混じっていても違和感はありません。
しかし、ピーナッツは木のみではありません。言うなれば、出生が違うのです。
ピーナッツという食物は、スパイ、殺し屋、超能力者と、「普通」とは違った出生を持ちながらも、世間に溶け込もうとしている主人公たちをよく表現しています。
2つ目は、殻の中に正体を隠しているという意味です。
実の部分をからの中に隠すピーナッツは、正体を隠す主人公たちとよく似ています。
しかしながら、ひとたび殻をむいて食べてしまえば、他のナッツたちと変わりはありません。
たしかにピーナッツは他のナッツと出生は違います。
しかし、いってしまえばそれだけの違いなのです。
主人公たちも異質な職業や能力ではありますが、その中身は我々と同じく人間です。
こういったことを表現したかったからこそ、主人公たちのことをピーナッツと例えたのではないでしょうか。
3つ目は、物語とのつながり。
実は、登場人物である「アーニャ」の好物は、ピーナッツなのです。
楽曲内容とはまた違った、原作作品感にちなんだ表現にもなっているようです。
このように、様々な要因によって、本楽曲では「ピーナッツ」が一つのテーマとして用いられていると考えられます。
「普通」なんてものはない
この楽曲、ひいては原作で描かれたメッセージは、「普通などない」というものだと考えられます。
楽曲や原作では主人公たちの特性があまりにも珍しいため協調されてはいますが、そもそも完ぺきに「普通」な人などいません。
皆何か世間とのずれを持っているし、秘密を持っています。
ともすれば、家族にも言えないような世間とのずれ。
このずれは誰もが持っているはずなのに、世間はそれを排除しようとします。
この楽曲は原作世界観をよく表していますが、一方で聴き手である我々自身のこともよく表していると言えます。
そして、そんな秘密とか違いを超越して安心できる場所こそ「家族」なのです。
秘密を抱えたままでも、違いがあっても、そこに「居場所」としてあり続ける家族という存在。
本楽曲で描かれていたのは、普通とか違うとか、そんな次元を超えた「家族」という居場所だったのではないでしょうか。
筆者の感想
毎回ひげだんの引き出しの多さにはびっくりしますが、今度はこう攻めてきたかと。
歌詞自体は、わかりやすい意味になっています。
しかし、楽曲世界と聴き手への共感性のバランス、言葉ひとつひとつに込められた意味など、どこまでも味わい深い魅力を秘めていました。
アニメのOPとしても、楽曲としても完成度の高い作品であると感じました。
この記事の感想やご意見など、是非コメント欄までお待ちしております!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
それでは(@^^)/~~~
コメント